Kiseki Wiki
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Shunran, the Archer of Darkness before Dawn (暁闇の射手シュンラン) is a book series that can be collected in Trails into Reverie. The in total 17 chapters are only available in the deepest stratums of the Infinity Corridor.

Contents

Chapter 1

第1回 雪の邂逅(かいこう)
 雪を連続的に踏み、そして蹴る音の反復。静かに抑えられながらも、心肺の負荷を隠し切れない息遣い。
それを響かせる少女は、彼女が進む雪の降りしきる山道には全くもって相応しくない装いであった。或いはそれが彼女の身体が上げる悲鳴をより大きくしているのかもしれない。微かに日焼けした肌とそれを随所に覗かせる薄い装束は、彼女が遠い地からの来訪者である事を物語る。一方それとは対照的な淡い寒色の瞳と、雪降る空の色にも似たくすんだ濃灰の髪は、彼女がこの地に惹かれて来た事を必然かのようにも思わせた。
  「……数は包囲に十分、風の流れ的にまだ山道は続きそう」 
少女の背後には通常の群れの三倍はあろうという狼の集団。血走った眼を覗かせる狼達は振り返る事もせず、少女と同じ道を走る。少女は時折立ち止まり、手にしたボウガンを群れに撃ち込むが、狼の勢いは目に見えるほどには削がれなかった。 
ボウガンを放った少女は軽快に背中向きに跳ね飛びつつ空中で身をよじり、元の方向へ向き直る。そして勢いを損なう事なく再び走り出す。山を渡り歩き、生き抜いてきた者特有の荒々しくもありながら軽快なその身のこなしは、彼女の涼やかな雰囲気と相まって一つの優美さを醸し出していた。
狼達は一心不乱に少女を追い続ける、矢を受けた同胞の屍を越えてまで。
少女はその様に、一種のシンパシーを感じた。彼らも追われているが故に追うのだ。追い立てられたことが彼らの生存本能を駆り立てている。
「必死なのはお互い様、か……それでもわたしは……」
少女は首から下げた筒と、腰袋に収めた書物を強く握った。そう、お互い様であるからこそ、ここで負けてはいられない。狼達を駆り立てた者――それに打ち勝つのもまた、彼女がなさねばならない事であった。
だが、強さを増す雪風と彼女が標高を駆け上がる度に低下する気温は、信念に支えられた彼女の体力を容赦なく奪う。足腰が未だ問題なく動くとしても、そこに血液を供給する上半身が冷え切ってしまっては十分に力を発揮できなかった。
気づけば彼女は山壁に追い詰められ、狼に包囲されていた。「……皮肉だね……逃げた末、予想通りに終わるなんて」
少女は微かに目を細めつつ、手にした筒に視線を向ける。筒に問いかけるかのように。その様は、単にその筒が彼女にとって大切なものというよりはむしろ、ある種の信頼感に近しくも見える風であった。
   「やっぱり“賭け”過ぎるかな……」
脳裏に浮かんだ選択肢を制する少女。狼は彼女の選択を知ってか知らずか、間合いを詰め続ける。少女が諦めの色を見せない事が不変であっても、最早包囲網は完成していた。ボウガン一丁で切り抜けることは不可能にも等しい。
しかし狼たちの生存欲求よりも、少女の不屈を女神は汲み取ったのか。次の瞬間、一発の乾いた炸裂音が宙を舞う雪すら震わせた。そして、隣り合う二匹の狼がほぼ同時に血を噴いて白い地面に倒れ伏した。
「……!」
狼達の注意が少女から倒れた仲間、そしてそれを為した炸裂音の方へ向く。その間にも同様の乾いた音がもう一発。音の在処を見つけたであろう狼が倒れた。
そして二発目の轟きは、狼だけでなく少女にもその方角と、その意味するところを知らせる事となった。
  「陣を崩したぞ、抜けろ!」
炸裂音――銃声と同じ岩陰から響いた青年の声の通り、狼の包囲網には弱体化した箇所があった。これならボウガンだけでも抜けられる……少女は反射的に小さく頷くと、矢を放ちながら無言で狼の群れに突撃した。それと同時に、さらに一発、また一発と銃弾が数秒間隔で撃ち込まれ、少女を遠くから守る。
 その度に雪を帯びた風の中に硝煙の匂いが溶けていく。導力銃ではなく古い火薬式ライフルである事は誰の目にも明らかだ。だが、連射の間隔は通常のそれよりも明らかに短かった。
  「こっちに! 抜け道がある」
銃の主は少女が包囲網を脱したのを確認すると同時に岩陰から上半身を乗り出し、手招きする。
多くの土地を渡り歩きその人々を見てきた少女には、その青年がこの環境下においてもっとも頼りになる戦士である事がすぐに分かった。彼は少女のものとは違う、まさにこの雪を纏った山肌を思わせる銀髪が目を引く美丈夫であった。白く彫りの深い端正な顔立ちと鋭い眼光、そしてしなやかでありながら合理的に鍛えられた長身。それらが調和した様はこの地の美しさと環境の双方を擬人化したようであった。彼は毛皮のコートを着込み、一丁の旧式ライフルをその手に握っている――やはりあの速射は、彼が一丁の銃のみでなしたものであったのだ。そして――その青年の風体に少女は覚えがあった。
少女は岩陰に滑り込む。が、同時に想定外の躍動故か、腰袋の中に入っていた一冊の本が空中に飛び出してしまった。片手をボウガンでふさがれた少女は、筒を守るのに手いっぱいだ。「っと」
銀髪の青年は丁度次弾を装填中であった銃の銃床(ストック)を以て本を受け止め、その場に落下させた。本は地面に置かれていた彼の荷物の上に落ち、雪に濡れることを免れた。
  「ありがとう。良い意味での誤算だったかな、今回は……」 
 少女はすぐさま本を拾い上げ、静かに言う。
   「それはどうも。だが、まだ助かったのは本だけだ」
見ると、狼の群れは体勢を立て直し――それどころか後続と思しき他の一団まで迎えつつある始末であった。
青年は照準器の先の光景を前に、小さく身じろぎした。
青年は自身の左手側にある小さな獣道を指し示し、少女が頷くのを確認すると自身もその中に駆け込む。だが、既にここまでの数を集結させた狼を相手に“裏道”だけで切り抜けられるのかは、一つの賭けだろう。
   「……仕方ない、じゃあわたしも賭けてみるよ」
青年が決断しかねている状況を悟ってか、少女はそう言って首に下げた筒を両手で構えながら青年の後ろ――即ち狼達の方へと逆走した。
   「何をしているんだ、さっさと抜けないと――」
制しようとする青年の声は、直後に起こった現象を前に途切れる事となる。
少女の掲げた筒が、その表面に刻まれた紋様から淡い光を放った。すると狼達の予想進路上に、恐らく自らの指先すら覆い隠す程の濃霧が瞬く間に発生した。更に驚く事に、振り返ってみれば、二人がこれから進まんとしていた道先ではどういう訳か雪と風が大幅に緩和されていたのである。
  「……うん。じゃあ、行くよ。ここを抜けるんでしょ?」
  「あ、ああ……その先を右だ」
土地に慣れているはずの青年は信じられない光景を前に、戸惑いながら異郷の少女のペースに乗せられていた。
   「どうかしたの?」
   「いや……運良く霧が立ってくれたなと」
   「……運は招くもの」
やがて青年の道案内に従って降雪の無くなった道を突き進むと、二人は開けた平坦な地に出た。木々がまばらに生え、その先に雪に覆われた山肌や切り立った崖が見える。二人は背後の気配から解放され、崩れるようにその場に座り込んだ。
   「こうも早く抜けられるのか……」
  「……視界が保証されていただけ早かったんだと思うよ」
戸惑いを見せる青年に対し、淡々とした口ぶりを保つ少女。少女は青年が見せた技術と装い、そして出会ったのが“この地”である事から、一つの確信を得ていた。
  「……まずは助力にお礼を言うね。
それで……一つ聞いても良い?」
  「あ、ああ……」
戸惑う様子も見せる青年は、少女の“それ”に対するイメージを形作った者に比べるといささか違った印象があった。
しかし“彼”が特異な例であった事も今となっては承知している。そしてそれを差し引いても、青年が先ほど見せた技量は、伝え聞くものの通りであった。
  「キミは……もしかして、《マタギ》?」
故に少女は、単刀直入に問うた。
青年は一拍子――いや、二拍子の間を挟んで、静かに頷くのであった。
  続く

Chapter 2

第2回 その山に狩人在り
 ゼムリア大陸北東部。荒廃の影響が比較的軽微であると共に東方でも特異な文化共同体群を有するその地に、彼はいた。 
白笠嶽(しらかさだけ)――かつて厳しい環境ながら多様な生態系を育み、霊峰とも言われた山岳地域である。その環境と調和し生き抜く人々は独自の技術と精神哲学を育んできた。
《マタギ》――龍すらも狩ったと言い伝えられる伝説的狩猟民族、その末裔(まつえい)とされる独自の狩猟集団である。しかし、かつてその名を轟かせた彼らも今や大陸東部に散在する、忘れ去らてれてゆく文化集団の一つになりつつある。今や“マタギ郷”も酷く過疎化し、住人の殆どが老人だ。若者たちは同じく獣の相手をするにしても、より稼ぎが良い遊撃士や商業ハンターになるべく山を去る。技術と文化の継承は途絶えつつあった。  そんなマタギ郷の中央広場には二つの象徴がある。毎年の祭事で中心となる、《山の精霊》を象った木像。そしてそれに付け加えられるように近年建立された、伝説の《マタギ》たるギウン・オルギスの名と家紋を刻んだ石碑だ。
その日の昼過ぎ、最早この村では珍しい存在となった青年が一人、そんな二つの象徴の前に立っていた。白髪の者が多いこの郷の中に在っても変わらずに目を引く、澄んだ銀髪と端正な面長の青年。彼は狩猟用の装備を地面に置き、像の土台にもたれかかって、しかしそれを見上げるでもなく、曇り空をぼんやりと眺めつつ、瓢箪(ひょうたん)の甘酒で体を温めていた。
   「おお、シュンラン。もう今日の狩りは終えたのか?
相変わらず良い手際じゃ」
 年齢に比して衰えを感じさせない健康的で威厳ある老人が青年に声をかける。彼は《頭領(スカリ)》。マタギ郷の首長と集団猟における指揮官を兼ねたような地位につく人物だ。
   「……お疲れ様です《頭領》。まあ目標は終えました。
収入も安定してますしご心配なく。共和国商人様々ですね」
シュンランと呼ばれた青年は空になった瓢箪を腰に吊るしなおしつつ答えた。
シュンラン・アイゼン。このマタギ郷に残った最後の“青年”と言っても差し支えない存在だ。郷の存続に対して責任を持つ《頭領》からすればある意味、如何に上等な獲物よりも貴重な資源と言えるかもしれない。
   「そうか、流石じゃな。それなら親父さんも喜んでおろう」 
「……悪いですがおだてても、例の話への答えは同じですよ」
シュンランは《頭領》が称賛を始めた事に反応するように装備品を背負い上げ、村の外――少し山を登った方角へと視線を向けた。彼の自宅の方角だ。
   「ああ、そういうつもりではない。ただ、お前さんが
しっかり強く生きていけるようになって安心じゃと――」 
この郷においては権力者であるはずの《頭領》が若者の気を害する事に注意を払う様子は、ある意味で貴重な光景とも言えるだろう。だが、それも仕方のない事だ。この《頭領》も実は望んで今の肩書を得た訳ではない。より相応しい者がいる――そう思っていても、その「相応しい者」が立て続けに消えてしまった今となってはこのポストにあって、何とか次代の《頭領》に相応しき者を守らねばならないのだ。
  「そうだと良いんですがね」
   「儂はそうだと思っとるよ」
   「まあ、その自信があればご期待に添えるかもしれないですね」
シュンランは終始冷淡であった。彼とて《頭領》の意図くらい理解している――しかし理解しているからこそ、安請け合いをする訳にはいかないのだ。
   「まだ気にしておるのか、親父さんに言われた事を。
深く考える事もないと思うがね。見てみぃ、郷の衆を」
《頭領》に言われたシュンランは、その気が無かったにも拘らず――やはり自身の血がそうさせるのか、郷に生きる者達の営みを見回していた。目に映るは干される毛皮に、得物を手入れする老人、酒盛りをしながら古傷を武勇伝と語る男……どれも見慣れた光景だ。見慣れた光景のはずであった。
   「連中とて、分かっとらん訳ではないはずじゃ。
それでも、毎日こうして――」
   「参考にはさせていただきます。それでは」
シュンランは足早に郷の出口を目指す。無論、逃げと承知している。それでも遺された命題に答えられるまでは――安請け合いはできない。
シュンランの住居は、マタギ郷を見下ろせる位置にある西方風の情緒を帯びた木組みの家だ。郷からいささか歩くが、シュンランは両親が遺した家を捨てるつもりなど毛頭無かった。 
そして、帰宅に時間を要するということは、その分だけその帰路にて出会いや発見の余地がある事を意味する。例えささやかな春の訪れであろうと少し珍しい獣の痕跡であろうと、そうした発見に無意味なことなど無い。父親のその言葉を疑う気になどならなかった。
しかしこの日に遭遇したのは、そうした身に慣れた事象とは全く違っていた。シュンランは自宅とは反対側に伸びる分かれ道から、尋常ではない数の野生の気配を察知した。《マタギ》であれば、この事態の異常性に気づかぬはずはない。事の次第では状況を確認し、《頭領》にも報告する必要もある。シュンランは、共和国の旧式ライフルを改造した猟銃(スルベ)を構え、走る。「……!」
だがその光景を見たシュンランは、そのように悠長に構えている場合ではない事を理解した。必死な様子で駆ける異常な数の狼の大群――これだけでもこの白笠嶽では本来あり得ない光景だ。さらに悪い事にその先にいるのは一人の少女であった。見慣れない装いをした異郷の者だ。
  (……良いかシュンラン。狩るだけが《マタギ》ではない。 
山を守らねばならん。山の恵みは女神の恵みだ。故に――)
脳裏に、父の遺した言葉の一つが響く。そして岩陰に身を隠したシュンランはその続きを静かに呟いていた。
  「――だから、(けが)れは払わねばならない」
引き金に力を込める。炎と共に吐き出された熱い鉛の塊は空中でその鼻先に触れる雪の結晶を蒸発させ、一直線に目指す軌道を疾走した。そしてシュンランの狙った通り、吸い込まれるように一頭の狼を貫き、その先にいたもう一頭の狼をも射止めた。
狼達の群れが混乱に陥る。しかしシュンランは、生存本能に駆り立てられた獣の群れが見せた隙は、ヒトが想像するよりも早く埋まるものであると知っている。
   「陣を崩したぞ、抜けろ!」
二撃目を放つと同時に、シュンランは叫んだ。
その呼び声に反応し、駆け寄る少女の顔が瞳に映る。
異文化に属する者でありながらも確かに伝わる知性を宿した彼女のその瞳は――少女が自身の置かれている状況に対して危機感はあれど、混乱も疑念も抱いていない事を物語っていた。
――この山に“何か”が起ころうとしている、そして少女は、それを必然と知っている!
シュンランは少女が飛び込んでくる際に投げ出された一冊の本を受け止めつつ、確信するのであった。
   「……使ったか。ここまでの我慢は誉めてやらんでもない」 
――白笠嶽に通じる、とある街道。僅かに赤みを帯び始めた日光に照らされる中、狼の一団が一方向に向かって血眼に走っていた。複数の群れが同じ方向に追い立てられ、意図せずして合流した結果の大集団であった。
狼達を震え上がらせ、ただ一方に逃げる事を余儀なくした元凶はその数セルジュ後方にいた。周囲に何頭もの狼や熊、猪の死骸を侍らせて……。
「聞いたほどでもない、ここの獣も」
自身を取り囲む冷たくなった猛獣を見下ろして男は呟く。 
異様な風体の男であった。屈強な身体を包む赤いコートと独特の刈込が入った黒髪も目を引くが、それより遥かに目立つのは彼の“皮膚”であった。顔面、首筋、手の甲と掌……衣服や毛髪に覆い隠されていない皮膚の殆どに、妖しげな呪文めいた刺青(いれずみ)がびっしりと刻まれているのだ。或いは、服を脱ぎ頭髪を刈り上げたならば、そこにも余す事なく刻まれているのかもしれない。唯一目に見えて刺青の侵食を逃れている彼の両耳が、逆に異質な存在にも見えるほどだ。
  「白笠嶽……ハッ、関係無い」
男は白い山を一瞥(いちべつ)するや、足元の屍に視線を戻し嘲笑した。
「狩り甲斐ある糧が無いなら、とっとと済ませ……いや?」 
男は何を感じたか、再び白笠嶽を見やる。一瞥ではない。しばし強い眼光を雪の向こうに鎮座する山に向け、ほくそ笑む。「なるほど、そう来たか」
男は傍らで虫の息でありながら一矢報いんと起き上がっていた狼の一頭に止めを刺す。そして、足取りを早め再び歩き始めた。狼の屍を地面に縫い付けていたのは岩の槍であった。
  「少しは期待できるかもしれんな……」
男の体を覆う刺青が微かに赤い光を帯び始める。彼はその静かな笑みの中で、隠し切れない獰猛さを――そして、人が持つにはあまりに(いびつ)な憎悪と渇望を(くすぶ)らせていた。
  続く

Chapter 3

第3回 狩人と流れ者と
「キミは……もしかして《マタギ》?」
白笠嶽に、故郷の山に何かが起ころうとしている――そんな予感の中シュンランが接触を果たした異郷の少女は、見透かすように問いかけてきた。
しばし当惑するシュンラン。まず少女は相当の遠方から来訪したように見受けられるが、何故すぐに《マタギ》と分かったのか。《マタギ》は今や知名度すら下がりつつある存在だ。装い自体もこの山の近辺に住まう他の住民と大差は無い。《マタギ》特有の猟法を見せた訳でもない。
もう一つの理由はシュンラン自身にあった。果たして今の自分に、対外的に《マタギ》を称するに値する資格はあるかと。
小さく首を傾げ、シュンランの答えを待つ少女。彼女が何者であれ互いに、普通ではない事態の中にいる事は間違いない。ならば、曖昧な要素を抱いたままという訳にもいくまい。シュンランはしばし考えた末、言葉を伴わず肯定を示した。
   「やっぱり……」
少女は確信していた様子であった。そして同時に肯定を受けて、この状況に在っても動きの少なかった表情を、僅かながらも笑みのそれへと変化させた。
  「よく分かったな……」
   「……ずっと昔に、会った事があるから。旅の《マタギ》に」
珍しいなとシュンランは思った。最盛期の頃ならともかく、現代の《マタギ》は多くが定住だ。郷を離れて旅をする事はそう多くはない。加えて狭いコミュニティである故、そうした旅の《マタギ》がいればシュンランの耳にも入るはずだろう。もしかしたら、山と《マタギ》である事を捨て、商業ハンターや猟兵になった者が未だに過去の帰属を騙り続けているパターンかもしれない。
何にせよ、それを考えるべきは今ではない。
   「……ともあれ、狼の気配は遠い。
ひとまずは撒けたと見てよさそうだ。ただ――」
状況を見るに、事は狼の異常行動だけの問題にとどまらないだろう。まだ安堵する時ではない。シュンランが少女に郷へ寄る事を告げようとすると、少女は既に立ち上がっていた。
  「おい、待ってくれ。君は……」
   「……さっきはありがとう。でも、使った以上は急がないと。
 気づかれたかもしれないし、落ち合う人もいるし……」
歩き出す彼女の手は、首に下げた筒に添えられていた。表面に不可思議な紋様が刻印された、大ぶりな笛程度の筒――シュンランは、自分達と狼を隔てた霧を思い出す。
   「まさかとは思うけど、さっきの霧は――」
  「それより……来てくれるの?
《マタギ》さんの助力があるなら、それは心強いけど」
少女に言われて、自分が彼女に釣られて立ち上がり、同じ方向に足を進めつつあったことに気づくシュンラン。これがたまに言われる、悪い癖というものか。
  「場合によるけどな」
シュンランは嘆息しながら言った。その間も少女に合わせて歩を進めている。彼女が静かな振る舞いながらも、確かにその中にせている切羽詰まった様子を前に、見て見ぬふりなどできない。まして、この山に何かが起ころうとしているのならば。「……あー、どこまで言うかな」
少女は筒に視線を落としつつ頭を掻いて見せた。既にその筒が不可解な濃霧を生んでいたことを――彼女の“賭け”を目にしてしまっていたシュンランとしては今更曖昧にされてもという気もするが。
   「とりあえず……君が何者なのか教えてくれないか?
俺はシュンラン。シュンラン・アイゼンだ。
君の言う通りこの地の……《マタギ》だ。……一応、な」
シュンランは少女に目を合わせる代わりに、手にした猟銃にに視線を落として言った。
  「……サユ。わたしの名前はサユ」
少女は――サユは少しの間を挟み、シュンランとは対極に彼を改めて見据えて答えた。名を告げてからは迷いが無かった。「《森の遊人》……それが、わたしが何者かの問いへの答え」「《森の遊人》……一族の呼び名か……?
聞き慣れないけど遠くから来た感じか?」
サユと名乗る少女が答えた「何者なのか」は聞きなれない言葉であったが、彼女の装いや振る舞いと相まって、異郷の民である事を裏付けるものであった。
   「というより、常に山や森伝いで動いてる感じ。
敢えて故郷を言うなら、旅路そのもの」
「流浪の民というやつか……仲間は一緒じゃないのか?」
  「今は故あって、散開して行動してる。
その中の一人とはこの山で落ち合う予定だけど……
過保護で喧嘩っ早いから割かし心配かな」
そこまで言うとサユは口を閉じた。そして、立ち止まって無言のままシュンランを振り返る。気が付けばシュンランは、それなりの距離をサユについて来てしまっていた。これ以上の込み入った事情を知るとするならば……腹をくくるか否か。それを決めることを暗に求めている。
   「俺は……」
シュンランも自ずとその足が止まった。自分の悪い癖だと言えば簡単だ。だが、一体自分に何が出来るというのか。《マタギ》として在る事にすら未だ明確な答えを持てない自分に何が。――そもそも、何故よりにもよってそんな自分がこのような事件においてまで、この悪い癖を見せてしまうのか。
シュンランが言いよどむ間、急いでいたはずのサユは足を止めていた。
無言の時は、風の変節を可聴化する。吹雪が……嵐が近づいていた。
  「俺としては――」
しかし、その言葉の続きは紡がれなかった。シュンランとサユが嵐の――怪物の気配が接近する事を同時に感じたためだ。続いて響き渡った重々しい咆哮は、その異様さを際立たせる。「……っ!」
 シュンランは、この気配の主を知っていた。忘れるはずの無い存在。ただ一つの、間違いようの無い獰猛さを秘めた咆哮。既に何年も見える事が無かったその存在の鼓動が、確かに風に乗ってシュンランのもとに届いていた。
一方サユは咆哮を耳にするや、首に下げた筒がまるで拍動するように発光している事に気づいた。
   「共鳴している……やっぱりこの山に……!」
互いが同じものを目指す事は、言葉を交わすまでもなくわかった。二人は顔を見合わせるやすぐさま見えざる嵐を辿り、坂を駆け上る。近づくにつれ、筒はその光を強めていく。
   (さっきも霧を出していたが、あの筒は一体……?
それにこれは……“ヤツ”に反応しているのか……?)
 サユの持つ不可思議な筒――異郷の民がもたらしたそれが、シュンランの因縁の相手と一体どう関係するというのか。
  (……まさかこんな形で再び相まみえることになろうとは。 
これも女神の導きというやつか……)
やがて二人は疾走の末その視界の中央に“それ”を捉えた。
それは、数十アージュの距離を隔てていても二人を確かな野生の覇気で圧倒する。白笠嶽の山頂を背に大岩に屹立し、周囲を見下ろすその姿はまさに山の王であった。
雷を纏った巨大な(ひぐま)……それがその正体であった。通常の羆魔獣よりも一回り以上大きな身体を覆う蒼白い毛皮は時折火花を散らし、身に秘めた猛烈な力を誇示する。その輝きは後光が如く彼の存在の輪郭を彩っていた。
「やはり貴様か……五年ぶりだな……《雷獣》!」
そして、それこそが……シュンラン・アイゼンという青年にとっての、全てを変えた因縁の相手であった。
  続く

Chapter 4

第4回 二つの脅威
 縁とは時に奇妙で残酷で、そして度し難い。
異郷の少女に導かれた先に待つは、絶つには痛みを伴う、忌々しき戒めの象徴。時を越えて見えたそれは、青年の内に封じられた衝動を駆り立てる。
《雷獣》――白笠嶽地域に住む者であれば、その名を知らない者はいないと言っても良い。
十数年前に現れて以来、その雷撃を操る能力を以て多くの動物や人間を屠り、山における力の均衡を破壊した存在。多くの《マタギ》達が挑んできたが、その大半が返り討ちに遭ったばかりか未だ巣穴の特定も出来ていない、偽りの山の王。今や白笠嶽において災厄の象徴と言っても良い、破壊と貪欲の化身。
それが今、シュンランの前に姿を現していた。シュンランは長らく経験しなかった高ぶりをその身の内に感じる。自分の中にある最高の自己矛盾を。気づけば、猟銃(スルベ)を握る手も震えていた。かつての戦いの続き……それを自分は欲している。
   「《雷獣》……?」
サユは発光をさらに強めていく筒に、明らかに困惑していた。泳いだ目を抑えようとするその姿は、先程まで冷静に自身のペースを保っていた彼女が初めて見せるものであった。
  「ああ……知ってて来た訳じゃないのか?」
  「ううん……“片割れ”がここにあるのは知ってたけど…… 
流石にそれが魔獣の姿になっていたのは想定外……」
   「片割れ……もしやその筒と関係が?」
サユの手にした筒は《雷獣》の出現を告げるかのように光を放ち、《雷獣》に接近するほどその光を強めていた。
関係の存在は明らかだ。しかし、“片割れ”というからには二つで一つの存在のはず。(ひぐま)の魔獣と、この小さな筒状の人工物との間にそのような関係があるなど、にわかには信じ難い。「その筒は一体――」
《雷獣》が再び雄叫びを上げる。それが強敵を威嚇する際の声である事を知るシュンランは言葉を切り、得物を改めて《雷獣》に向けた。
   「お前もここで決着をつけたいっていうのか……!」
《雷獣》は岩から跳び、全身に火花を迸らせながら駆け出す。「……違う、その魔獣が威嚇してるのは……!」
しかし次の瞬間、人の身の丈ほどもある岩の槍が不快な風切り音を響かせて何処からか飛来した。そしてそれは、《雷獣》目がけて一筋の弧を宙に描く。
《雷獣》は咄嗟(とっさ)に横跳びで回避を図るも、岩の槍はその一片だけで《雷獣》の皮一枚を裂くには十分な威力を持っていた。
蒼白の毛皮に赤黒い染みを浮かべる《雷獣》。突進を止めた彼はどこかを睨みつけながらじりじりと後退し……そして閃光で自らの姿を眩ますや、山の奥に消えてしまった。
   「くっ、待て! ようやく見つけたというのに!」
シュンランは《雷獣》の行動が生存のための戦略的撤退であると理解している。それ故になおの事、外的な脅威によって 《雷獣》が再び自身の前から消える事を理不尽と感じた。
  「シュンラン、危ないっ!」
「なっ……!」
しかし、《雷獣》をも退けた脅威は二人にも容赦なく襲い来る。咄嗟に身を伏せたシュンランの頭上を岩の槍が掠め、目の前に生えていた樹木を爆砕せしめたのだ。
   「何だこれは、岩の槍とは……魔法(アーツ)でもないようだし……」 「……来る。あいつが……」
   「あいつ……?」
二人は岩陰に身を隠す。しかしサユは筒を――《雷獣》が去り、光を弱めるそれをなお強く握りながら言った。シュンランは脅威の正体を掴まんと、岩が飛来した方角に双眼鏡を向ける。「……わたし達《森の遊人》が運ぶ古代遺物(アーティファクト)を奪うために……
それ以上の破壊と殺戮を繰り返す狂戦士……」
 双眼鏡は異様な男の姿を映していた。耳を除く全身に文様を刻印され、側頭部に独特の剃り込みを入れた大男。その内なる暴力性を秘めた(かお)には、愉悦の色が浮かんでいた。
   「……ううん、それすらもあいつにとっては詭弁に過ぎない。
あいつは、わたしたちを根絶やしにしようとすらしてる。 
なのに、何者なのかすら未だわからない。
だから、わたしたちは仮にこう呼んでる」
レンズの先の大男は、シュンランが持ち得るそれの何倍も鋭く、そして重い眼差しを以てシュンランの視線に応えた。レンズ越しであっても殺意が重たく突き刺さる――かと思いきや次の瞬間、レンズの中の大男は姿を消した。
   「……《鬼》と」
 ――双眼鏡を目から離すシュンラン。そのほんの十数アージュ先に、《鬼》が立っていた。
   「……羆は逃したか。まあ良い、先に仕事を済ませるのみ……」
巨大な岩が一瞬にして砕け散る。しかし《鬼》は、その残骸の中に血だまりを認められない事に関心の笑みを浮かべた。そしてそれは、直後に響く銃声を受けてもなお変わらなかった。「面白い助人だな、山猿共」
自身に向けられた銃撃にも関わらず、《鬼》は落ち着いた、それでいて貪欲さに満ちた振る舞いを崩さない。銃弾は彼の身体に到達する前に、突如として現れた岩の壁によってその行く手を阻まれていた。
「……あんたのその手品ほどは面白くないと思うがな。
何なんだ、貴様は……! この山に何をしに来た!?」
自身が身を隠す岩を砕く一撃を間一髪のところでサユと共に回避していたシュンランが、枯れた草むらの中で猟銃を構えながら応えた。銃弾を防がれた事に狼狽するも、身の震えが銃口にまで及ばぬよう気を引き締め、強気に振る舞う。獰猛な相手にこそ逃げる背を見せてはならぬ……《マタギ》の鉄則だ。 「オレは《岩壁使い》。今はそれで十分だ。
だが、オニという呼び方だけは気に喰わん」
   「《岩壁使い》……何故サユを襲う? 何故《雷獣》を狙う?」
シュンランは問いを投げかけながらも次弾を装填し、即座に動ける位置を確保すべく、じりじりと横に動く。
「知れた事。その山猿共を滅し、一族への手向けとするため。
そしてそれを成すための力を得るためだ……
この《岩壁使い》としての力も、そのために得たに過ぎん」
半分嘘だ。シュンランは直感した。この男が《雷獣》を攻撃した際に見せた愉悦に満ちた表情を覚えている。弔い、力を得るため……詭弁の裏にある欲望に彼は自分でも気づいていない。
――そして、かくも欺瞞(ぎまん)と煩悩に満ちた理由であるならば。「なるほど、そのためにね……ならばお引き取り願う!」
シュンランは猟銃を放つと同時に草むらから飛び出し、《鬼》に躍りかかった。
《鬼》は地面に右拳を叩きつける。すると盛り上がった地面の岩が瞬く間に壁を形成し、彼の姿を銃弾から隠した。
 ――だが壁で身を隠すとは同時に、彼自身の視界も遮るということ。
  「隙ありだッ!」
シュンランは《鬼》に敢えて岩壁を形成させ、その陰に隠れて肉薄していた。その手にはナガサ――《マタギ》に伝わる特殊山刀が握られている。
   「ハッ、甘いわ小童!」
   「……くッ!」
しかしシュンランは刃を閃かせた瞬間、その身体に鈍い痛みを、そして意識の断絶を感じた。《鬼》の左手に纏わりつく岩が重厚な手甲を形成していた事に気づくのは、数アージュ後方の地面に背中を打ちつけてからだった。
「……刃は届いたか。久しいな、皮を裂かれたのは」
岩壁が崩れ、貌を歪ませる《鬼》が姿を現す。彼は脇腹の刀傷から垂れた一筋の生暖かいものを手に、愉しげに息巻いた。「小賢しいが、度胸は誉めてやる。
あの羆の前の肩慣らしにも丁度良さそうだ」
   「……ああ、《マタギ》は小賢しいもんだ。
だから、時には自分も囮にする!」
   「……!」
シュンランとの間を詰める《鬼》の頭上に、幾本もの矢が降り注ぐ。彼は左手に残る岩を以てそれを受け止めた。しかし 《鬼》が視線を地面に戻した時、既にシュンランの姿はそこに無かった。
「防がれたか……だがサユ、助かった」
  「こっちこそ……お陰で、糸口が見えるかもしれない。
岩壁の守りが絶対じゃない証明をできただけでも十分な収穫」
シュンランは既に、矢を放ってさらなる隙を《鬼》に与えたサユによって抱き起こされ、共に茂みの中に滑り込んでいた。
サユは冷静さを取り戻していた。シュンランに言われるまでもなく、最適なタイミングで彼を助け出す程度には。
  「……それにほら。わたしの頼りになる家族も、
今のを見ていてくれたようだしね」
《鬼》を挟んだ先に(そび)える崖の上を指差すサユ。
そこには、彼女の言う「頼りになる家族」の姿があった。 
  続く

Chapter 5

第5回 サユの闘い
「頼りになる家族……?」
サユの指し示した、《鬼》の背後に(そび)える崖。
その上に、彼の影は立っていた。
  「待たせたなサユ! 頼もしき兄貴、ここに見参だぜ!」
  「その腹立たしい声は……!」
影は良く響く甲高い青年の声で《鬼》の注意を引くと同時に、崖を蹴っていた。
崖からひらりと跳躍する影を沈みかけた太陽が照らし出す。獣の毛皮を被った、シュンランよりも長身の青年であった。フード状になった毛皮の頭部分を深く被っている事と、既に辺りが暗くなりつつある事からその顔は伺い知る事はできない。しかし、《鬼》の頭上に躍りかかる身のこなしだけでも、彼の実力は疑いようが無かった。
   「しつこい山猿の青年か。いつにも増して小癪(こしゃく)な……!」
《鬼》は自身に向けて放たれたドロップキックを、岩で作った円盤状の小楯で受け止める。しかし青年は、その岩の盾を足場として空中で再び跳躍した。
  「背中が空いてるぜ、ヘンテコ刺青(いれずみ)野郎!」
そして宙で身を翻し《鬼》の背後に降り立った青年は、目の前に聳える壁の如き赤い背中に連続パンチを打ち込んだ。拳が分け身をしたかの如き打撃の嵐が吹き荒れる。
   「やりおる……だがまだ甘いわ!」
背後からの絶え間無き打撃を受けた《鬼》は大きくよろめくも、すぐさま地面を蹴り、真後ろにも岩壁を形成した。青年は拳撃を中断し、バックステップで間合いを取る。
  「ダウ兄……見計らってた?」
  「いやいや、偶然さ。ようやく見つけたところだぜ……っと!」
サユがダウ兄と呼んだその青年は《鬼》の反撃を軽やかに躱しつつ、余裕の色を顔に浮かべて見せる。
   「だが、お陰で良い所で来れたのも事実だ。
さっきの戦いで良いモノが見れたんでな」
彼の言う「良いモノ」が何を意味するか、シュンランはすぐ察した。敢えて岩の盾を作らせて、死角を突く。シュンランが山刀(ナガサ)を使った時と同じだ。サユの「防御が絶対ではない」という言葉の意味。それは――
   「……奴の岩壁は死角があるだけじゃない。
 状況に応じて勝手に発動する訳でもないって事か」
  「そう、そこに勝機があるはず……!」
サユはすくっと立ち上がり、指笛でダウなる青年を振り向かせる。そして何やら短いハンドサインを彼に送った。
青年がフードの中で強く頷く様子が見える。そして彼は間もなく、《鬼》を引き付けるべく散発的な攻撃を始めた。
   「まさしく以心伝心だな、確かに頼もしい」
  「ダウ兄には何かと色々付き合ってもらってきたから。
さ、シュンランも行くよ」
サユはシュンランをある場所に誘う。向かう先は、ある雪に覆われた急斜面を見渡せる高台であった。斜面の上には、危うい安定性の上に屹立する氷塊があった。さらに上からの雪崩がもたらした雪の塊が水を吸って形成されたものだろう。そして青年は、《鬼》をかの斜面に誘導しようとしている。
  「……なるほど、察しはついた。だが――」
  「そう簡単には誘発させられない、だね……?」
シュンランが合点すると同時に抱いた懸念に対し、動きこそ小さいながらも得意げな笑みを返すサユ。手にした筒はシュンランに見せつけるかのように顔の前に掲げられていた。
   「またその筒か……」
  「まあ……もう隠しても意味無いしね。
わたしは“下準備”をする。
シュンランはわたしの合図に合わせて“あれ”を撃って」 「“あれ”ね……今は信じよう」
 双眼鏡でサユの指し示したものを確認したシュンランは、邪道だが、と呟きつつも、その愛銃にスコープを装着した。
一方、ダウと呼ばれた青年は《鬼》を相手に一進一退の攻防を繰り広げながらも、着実に《鬼》を斜面の下に誘導しつつあった。
   「さっさと楽になれば良いものを。
諦めの悪さだけは見上げたものだ、山猿共めが」
《鬼》は勝ち誇ったように岩の拳を振るう。明らかに相手が意図あって後退している事に勘付いていなかった。
   「いい加減、貴様の相手は飽きた。終わりだ……フンッ!」 
しかし同時に苛立ちを見せ始めた《鬼》は一際重厚な岩の手甲をその手に纏う。そして、他の追従を許さぬ殺意に満ちた一撃を放った。直撃すれば人体の耐久限界を容易く超えるだろう。
だが、刺青に覆われた(かお)は拍子抜けしたように歪んだ。《鬼》の拳……そこに青年の屍は無かった。毛皮のみが纏わりついていた。
   「空蝉(うつせみ)ってヤツだ、この程度の手品ならおれにも出来るぜ!
驚いたかい、奇天烈(きてれつ)カリアゲ野郎!」
毛皮を脱ぎ捨て、宙を舞う青年――ダウはその露わになった顔に、挑発的な笑みを浮かべていた。濃紺色の角刈が様になった、面長で端正ながら野性的な容貌だ。彼の身のこなしや蛮勇さへの、ある種の説得力をも内包している。
  「なるほど。山猿とて愉しめる程度の知恵はつけたか。
なら望み通り遊び、そして屠るのみよ!」
 《鬼》は次なる一撃を地面に打ち込む。舞い上がった石の破片を操り、ダウに無慈悲なる石飛礫(いしつぶて)を浴びせかける。だが、ダウもそれを全身に受けながらもさらなる後退によってそのダメージを軽減させた。同時に更なる《鬼》との間合いを確保する。
そしてそれは、《鬼》が然るべきところに誘導された合図の一つでもあった。
――ダウの戦い方の変容に気を引かれていた《鬼》はこの時、何気に自らの頭上を通過した三本の矢が何を意味するか、考える余地も無かった。
   「……シュンラン!」
  「準備万端……!」
スコープの中央に捉えたもの――氷塊を支える土台部分とも言える、氷柱を含んだ小規模の氷塊。猟銃が炎と共に吐き出した弾丸は、その最も脆弱な側面部に喰らいつく。正確に弱点を撃ち抜かれた氷塊は、自らが支える大氷塊の質量に押し潰され、文字通りに粉砕された。
そして基部を失い自重を支えられなくなった巨大氷塊は、自己を崩壊させながら斜面を転げ落ちる。斜面を覆っていた雪の一部は、追従するように巻き込まれ、流れ落ちた。
本来ならこの程度の崩落が《鬼》の脅威になるはずも無い。だが、それは今まさに雪山の怪物に脱皮しようとしていた。 
雪に覆われた斜面の数ヶ所から光と霧が放たれていた。その起点は、まさしくサユが事前に打ち込んでいた三本の矢の着弾地点だ。
「滑って……!」
矢から放出される光と霧が絶えた刹那、大地が震える。まるで地の龍が目覚めたかのように。しかし実際に目覚めたのはこの山における脅威の象徴が一つ――雪崩であった。
小規模な雪滑りを起こしていたその山肌が、一瞬にして斜面を覆う全ての雪を同時に振るい落としたのだ。
   「く……何たる搦め手ッ! だが――」
《鬼》は雪崩の正体を察するも、時すでに遅し。彼の足は雪の暴流に捕らわれていた。深さを増す白い奔流の中に在っては、《鬼》と言えど自慢の岩壁を作る事も叶わない。容赦なく襲い来る冷たい暴力が《鬼》を呑む。やがてその禍々しい刺青も白銀に覆われ、彼は外界から完全に隔絶されてしまった。
「……やったのか?」
  「多分死にはしない。でも、しばらく封じる事なら……」
  「復活するかもしれないって事か……
しかし驚いたな……一体どういう絡繰りだ?」
目の前に冬山の災厄を顕現させる一端を担ったシュンランは自身の一撃が引き起こした事象の規模を信じられなかった。この山を知るからこそ、因果間にあるその差を理解できない。 「……雪が滑るのに最適な状態にした。水分量を調整してね」
サユは得物のボウガンに設けられた窪みにはめ込んだ筒を首に戻しつつ言った。彼女が雪面に打ち込んだ三本の矢……それらは射出される前に筒から何らかのエネルギーを供給されていた。そして射手を離れてもなお、実体無き導線によって筒と連動し続けていたのだ。
  「やっぱりその筒がカギか……奴も狙っていたようだし。
それにしても山肌の水分量を調節したって……
よくまあ、しれっととんでもない事を」
いよいよ事件の背景について看過出来ぬとシュンラン。一連出来事の裏に何らかの超常的な事象があるならば、その出自に謎の多い《雷獣》についても何か判るかもしれない。
  「やったなサユ、作戦勝ちだ! お前もケガとか大丈夫か?」
と、そこでサユが「ダウ兄」と呼んでいた青年が二人のもとへ駆け寄ってきた。今ならシュンランにも、彼の容貌もよりはっきりと見える。髪の色こそ対照的ながらもサユと同じ意匠の装束に身を包み、少し日焼けをしている。彼の場合は素肌にペイントを施し、口には葉っぱを咥えている点が強く目を引く。「わたしは大丈夫。ダウ兄こそ、割と心配してたんだけど」 「すまねぇ。ちと情報収集がてら、近くの村に寄っててな。 
まあ、とにかくお互い狼共も《鬼》も撒けて何よりだ。
ところで……」
青年はサユの両肩を掴んでその存在を噛み締めつつ、シュンランに視線を向けた。
  「あんたは地元のモンかい? 見たところ猟師みてぇだが……
サユを助けてくれてたってんなら礼を言うぜ」
  「ああ、こっちこそ加勢に感謝する。俺はシュンランと言う。
えっと……ダウ、で良いのか? 聞く限りサユの兄か?」 「おうよ。何を隠そう、つむじ風のダウったぁおれの事よ。 
 サユとはまあ、正確には従兄なんだが、実質兄妹さ。
ま、仲良くやろうぜシュンランとやら」
   「ああ、こっちこそよろしく頼むよ。
渾名の方は聞いた事も無いけどな」
シュンランの差し出した手を取るダウ。握手のどさくさに紛れ、もう一方の手でサユをシュンランから離そうとしているようにも見える挙動だった。
  「ともあれ、聞きたい事は山々だが……
とりあえず場所を移さないか。今夜はさらに荒れるぞ……」
シュンランの見上げる、昏い空に雪雲を流す風。それは、山の精霊が荒ぶる様を物語っていた。
  続く

Chapter 6

第6回 《森の遊人》はかく語りき
 ゼムリア大陸北東部の一角、白笠嶽地域。独自の地域文化と生態系を育んできたこの地には、当の住人達にとっても度し難く、しかし同時にその存在に対して一種の諦念とも受容とも取れる扱いの下放置されてきた謎や伝承が、いくつか散在していた。ある者はそれを純朴に信じ、ある者は御伽噺(おとぎばなし)と冷笑する。今では、最強の《マタギ》たるギウン・オルギスが謎の失踪を遂げた事に無理矢理関連付けて語る者すらいた。
そしてこの日、青年はそうした謎の一つにして新たなる脅威――そして自身の因縁である存在の真実の一端を、目の当たりにしつつあった。外界からの使者がもたらした言葉によって。「《凝空(ぎょうくう)の筒》……それがその摩訶不思議な代物の名か。
古代遺物(アーティファクト)……噂程度には聞いた事があるが……」
    日が完全に沈むと同時に、外界の者を阻まんとするかの如き吹雪の牙を剥いた白笠嶽。その中腹に位置する小さな洞窟に灯りが燈されていた。吹雪を逃れ、焚火を囲むのはシュンランとサユ、そしてダウの三人。羽織っていた毛皮を喪失したダウが率先して薪をくべていた。
《凝空の筒》――それが、二人の明かした“筒”の正体であった。曰く、空気中の水分凝結に自在に干渉し、局所的ながら天候の制御すら可能な機能を秘めた古代遺物。確かにそれならば霧の発生や吹雪の緩和にも説明が付く。
   「となると、あんなに簡単に雪崩が起きたのも……?」
   「そう、矢を中継器にして雪と地面の湿り気を調節した。
上手く使い慣れれば、武器と連動させられるっぽくて便利」
「相変わらずしれっととんでもない事を……」
シュンランの驚きは、今直面している古代遺物の能力に対するものだけに留まらなかった。古代遺物を運ぶ流浪の民に、それを狙う者達。その中で独自の知恵を発揮する一人の少女。全て、白笠嶽にいたままでは本来知り得なかった事だ。
果たして山を捨てた幼馴染達は、各々の行く先で何を見ているのか。山の外に広がる世界について、自分が無知である事を実感すると共に、好奇心を刺激される。
  「ハハハ! 凄ぇだろうちの妹はよ。
毎度の様に、どんなものでも応用法を思いつくんだぜ!」 「……ダウ兄、何度も同じ事言わせないでね?」
誇らしげにサユの肩を抱くダウと、それを払いのけるサユ。
 二人が幾度も繰り返してきたであろうこんな光景でさえも、自分とは違う世界を渡り歩く中で醸成されたものなのだ。
そう思うとシュンランは、山と比較するよりもなお自分が矮小な存在であると改めて感じた。
それでも自分は、《マタギ》として今より外界の脅威に対峙せねばならない。その重さは今のシュンランを強く戒めるも、反面その奥に燻るものを煽り立てる。
   「随分と話が大きくなってきたな……
君達は《雷獣》が持つ片割れも取りに行くのか」
シュンランは自身の中にある葛藤を覆い隠すと共に新たな道標を探るべく、話の続きを促す。目の前にある現実の中で自分は如何に振る舞うべきか。それを知りたかった。
「うん、《ホコラ》に納めるからには完全体にしておきたい。
それに完全体なら《鬼》に打ち勝つための鍵にもなるし」 
――それにも関わらず、いざ片割れがあると言われる白笠嶽に来てみれば、件の古代遺物は土着の魔獣と融合しているという想定外の事態に陥り、今に至るという。
   「……」
シュンランは現実感を喪失しつつあった。因縁の相手と時を隔てた再会をしたかと思えば、その正体を異邦の旅人から告げられたのだ。それは自らが過去に置き去ったものが形を得て、忘れられまいと手を伸ばしてきているかのようで。
   「それにしても、《鬼》か……」
しかしそんな縁すらも壊し尽くし、全てを夢の果てに帰そうとする存在、《鬼》。その殺意が、彼を戦いに駆り立てる。 
――先を越される訳にはいかない。
シュンランは猟銃を手に取り、静かに焚火を囲う輪から外れた。洞窟唯一の開口部からは覗くのは白い吹雪と闇夜の織り成す渦のみだ。
  「おいおい、いきなりどうしたってんだよ」
ダウがシュンランの肩を掴む。振り返ると、ダウとサユがシュンランに向ける表情は、彼が想像していたそれとは全く違っていた。
  「《雷獣》をあんな奴に狩られる訳にはいかないんでね…… 
奴が復活する前に、一刻も早く《雷獣》を狩らねば。
その片割れとやらの横取りならしない。待っていてくれ」 
 予想だにしていなかった二人の顔。それは、笑みであった。おおよそ独りで死地に赴く者に向ける笑みではない。それにも関わらず、そこには如何なる矛盾も発見できなかった。
   「へっ、その《雷獣》とやらを《鬼》と競うんなら、
おれ達とやる事は全く同じじゃねぇか。
おれは足にゃ自信ある。急ぐ仕事なら損はさせないぜ?」 「……それに、相手も古代遺物を持っている。
片割れと知識を持ってるわたし達がいて損は無いはず」
二人の言っている事は至極当然の事でしかない。シュンランが獲物を独り占めする意味が無い以上、共通の目的を持つ二人と協力する事は自然な選択だ。
  「だが……《雷獣》は俺が……」
 《雷獣》との決着をつけるために他者の力を拒む理由は無い。むしろ《マタギ》は本来は集団猟も伝統とするものだ。しかし何かを焦り、シュンランは一人で飛び出そうとしていた。そして、二人の当然過ぎる反応にも困惑していた。
   「……どうして一人で行こうとしたの?」
   「……どうして君達はそんなにも迷いが無いんだ?」
故にシュンランは、問いに問いを返した。そこに自らを戒める命題への道標を求めてか。
   「説明するのは初めてだけど……わたし達の営みは、空虚じゃなかった。少なくとも、わたしはそれを確信出来てからは一族のだけじゃない、自分の目標を持てたからかな」
対してサユは、問答にも迷いを見せなかった。ただ彼女の抱く一つの命題、それが確かに“そこに在る”のみであった。 「そうか……」
彼女を正確に導く目標について、シュンランは何も知らない。だがこの一答を以てすら、自分の目に映らぬもの――或いは映してこなかったものがそこに生きている事。それだけは確かに伝わった。
   「まあ変に難しく捉えるなよ。
サユはおれらン中でも特殊さ、ぶっちゃけおれもわからん。
とにかく、おれ達とあんたは仲間。今はそれで良くねぇか?」
いつの間にか再出発の支度を済ませていたダウがシュンランの肩を叩いて、吹雪の中に踏み出す。
   「ああ……そうだな。今は……」
 シュンランは気づいていなかった。自らを惑わしていたものが自身の中で、もう一つの想いを呼び覚まそうとしている事に。
  続く

Chapter 7

第7回 一つの旅、一つの命題
 月すらも雪雲に覆われ、前を行く者の背さえ見難い視界。如何なる防寒具を以てしてもその僅かな隙間から豪速を以て侵入し、氷雪の欠片と冷気を浸透させる暴風。膝までを包み込み、魂を吸うが如く体力を奪い続ける積雪。
二月の白笠嶽上層に吹き荒れる雪嵐は人という存在を拒み、聖域を守る結界の如く振る舞う。近年激しさを増しつつあるそれは、《マタギ》の間では女神の恵みを食い荒らした人間に対する山の精霊の怒りとも語られていた。迷信と思うのは容易かろう、その怒号にも似た風の音に、直に呑まれるまでは。吹雪く音は、隙あらば助けを請う声すらもかき消してしまう。
そんな白笠嶽の闇と吹雪の中を突き進む一つの灯があった。「畜生、やっぱり寒ィ! 毛皮を捨てたのは失敗だったぜ…… ひぃぃいいいい……へぶしっ!」
  「ダウ兄、コート交代する?」
  「馬鹿言うなサユ、お前がお腹冷やす方が問題だろうが!
おれはこれでも、乾布摩擦してるから何とかなる!」
先頭を征くシュンランの持った携行ランプのみを頼りに歩き続ける三人の装いは、この環境に適したものではなかった。シュンランはコートをサユに貸し、下に着ていたセーターのみとなっている。コートを譲り受けたサユも決して十分であるとは言えず、ダウに至っては穴を開けた麻袋を被った有様だ。
  「もう少しで《マタギ小屋》だ、頑張ってくれ……!」
それでも三人がここまで耐えられたのは、(ひとえ)に踏破に要した時間の短さに他ならなかった。サユとダウは防寒対策こそ無いものの流石は《森の遊人》、劣悪な足場をものともせずに平地と大差無い速さで歩き続けていた。それ故、二人の体温が奪われきるより先に目的地に到着する事が叶ったのだ。
深夜を回った頃に三人が到達したのは《マタギ小屋》。《マタギ》が山の上層へ遠征する際に拠点とする、補給基地だ。 「何とか着いたな……二人とも、多少は休む時間もありそうだ。
まあ、快適さは期待できないけどな」
扉を開けるだけでも建材が軋み、擦れ合う振動が手袋越しに伝わる古い木組みの納屋。しかし、この吹雪の中に在って力強く立ち続ける様が、枯れ果てたように見えて定期的に手入れをされてきた事を物語る。
――《雷獣》は《鬼》から退いた方角を鑑みるに、山頂付近に潜伏している可能性が高い。そうであれば、本来の(ひぐま)魔獣生息域で《雷獣》の棲み処を発見できない事や山頂を中心に落雷被害が多い事とも整合する。
故に一行は夜明けには山頂に到達する事を目安に補給と下準備を済ませる事にしたのだ。
   「思ったより色々残ってるな。持てるだけ持って行こう」
  「なるほど……この短剣は柄に棒を挿して槍みたいに……」 「それは《フクロナガサ》だな。俺も持ってる山刀の亜種さ」
回収すべき備品を物色するシュンランをよそに、サユは内部に備えらえた猟具や工芸品に関心を向けていた。知的探究心と理性が、無邪気なる好奇心と調和しているのが彼女らしい。 「うおお、毛布だ! 毛皮だ! お前を探していたぜ畜生!」
 一方でダウはいつの間にかシュンランよりも早く転がり込み、目に付いた毛布を羽織って小屋の奥で丸くなっている。
   「一応、囲炉裏(いろり)もあるね。わたしが火を起こしておく。
シュンランは気にせず準備してて」
   「あ、ああ……。しかしサユ、よく囲炉裏なんて知ってるな。
そういえば、《マタギ》の事も知ってたし……」
   「……囲炉裏とかはこの本にも書いてあったから。
くれた旅人も《マタギ》だったらしいから知ってたよ」  
腰袋から本を取るサユ。シュンランが彼女に出会った時に目にした彼女の大切な一品。装丁こそ古いが、長年旅に晒された割に劣化の無いそれを、シュンランはパラパラと捲ってみる。「『土着の地域諸文化群とその精神』ね……
 見たところ情報が古いな……って、発行が四半世紀も前だ」
しかしその古びて見える記述は、時を越えて変わらぬ息吹をありありと語り伝えた。シュンランの知らない様々な文化集団や民族の名と生活様式、精神性についての客観的な見分と考察が記され、論理的でありながらも魂を感じさせる。そしてその中には、サユの属する《森の遊人》の名もあった。
   「君達の項目もあるが……何というか、随分平穏な内容だな」
《森の遊人》――彼らは何故希少な古代遺物を持ち、そして守るのか。シュンランは道中で彼らの使命を大まかに聞いていた。かつて七耀教会からの使者との間で、教会の管理が行き届かない地域での古代遺物回収を代行し、代わりに輸送中の古を代遺物をある程度自由裁量で運用できるという盟約を交わしたのだという。そして彼らは幾代にも渡り、旅の過程で見つけた古代遺物の恩恵を受けながらそれらを《ホコラ》へ運ぶ営みを受け継いできたのだ。
しかしこの書物には、そのような事は仄めかす程度の記述しかない。代わりに木細工や行商の補助といった平時での生業や、他民族との交流関係、そして装飾文化などについての情報が詰め込まれていた。
  「君らにとって何か特別な事を書いてるとは思えないけど……
でも、大切な本なんだろう?」
   「うん。この本と、くれた人のお陰で今のわたしがある。
わたしにとっての、まあ、一つのきっかけかな」
   「きっかけ、か……」
 一族の営みに、自分だけの何かを見出して歩む若者。シュンランが見つけられないものを信じる少女。そんな彼女にとっての起点がここにある。ならば、自分にとってのきっかけはと言えば――シュンランは瞑目するも、今の空虚さに至った経緯ばかりが浮かぶ。
   「まあ、そう悩むな」
シュンランの思索は自分で感じるよりも長かったのか。(わら)に横たわったダウの声に顔を上げてみると、サユは既に囲炉裏の前に屈み込んでいた。
  「サユは一族の中じゃ珍しい読書家だが、それに限らねぇ。 
本以外にも色々取り込んで自分なりに組み立てるのが得意だ。
だが、別に突飛な事は言っちゃいねぇ」
 それに、と付け加えながらダウは立ち上がり、シュンランの肩に手を置いた。
  「……おれもサユのお陰で吹っ切れた事があってな。
あんたの気持ちもいくらかは判るぜ。まあ、とにかく今は、
正しいと思った方へ進もうぜ。案外それで見えてくるもんさ」「ダウ……まあそうか……とりあえず、今は進んでみるか」 
シュンランは、未だ自らの中で縛られながらも惑いもがく命題の終着点を知らない。ただ今、その命題が変化した末に、この二人を向いている事だけが、確かにわかった。それがもし、道標の一つになるならば……。
  「――やる事は特に変わらない、か……皮肉なものだな」
小屋の外界に満ちる猛吹雪の轟音は、僅かでも声を絶てば空間を支配する。しかし、囲炉裏の火の音が耳に入り始めると、シュンランには小屋の節々を揺さぶるこの吹雪を突破する事すら、一筋の確固たる道であるかに思えた。
  続く

Chapter 8

第8回 記憶の果てから
「シュンラン、《雷獣》に挑む前に今一度覚えておけ。
俺達《マタギ》が獣にも敬意を払い、山を守る事。
そのためにしきたりも守る事。その意味は何だ?」
その日、少年は傍らの父の口から今まで何度も経た問答が投げかけられたことに少々面食らった。今よりあの伝説たる先代《頭領(スカリ)》ギウン・オルギスですら狩りきれなかった《雷獣》に挑むというのに。
  「山の恵みは女神の恵み。それを守り、感謝するためでは? 
そのために先人達の……」
少年は幾度も繰り返してきた答えを返す。何故今改めてと問返しはしない。姿を消した生ける伝説から《頭領》を継いだ父の言葉が無為であった事は無かった。
   「その通りだ、皆がそう思うし、間違いではない。
だが俺はそれよりも重要な事があると思う。
《雷獣》に挑むにあたって、お前にも考えて欲しくてな」 「そんな事が? 父さん、今まで勿体ぶってたのか?」
   「はは、すまんな。お前が一人前になったら改めてと思ってい
たが、いつの間にかお前も共に《雷獣》に挑むまでに
なっていた訳だ。それに……この狩りは丁度いいしな」
二人はその間も山道を歩み続ける。(ひぐま)の生息域から少し離れた白笠嶽の中腹だ。未だに棲み処も不明な《雷獣》を狩るのであれば、目撃地に直行し痕跡を追う他無かった。
  「――良いかシュンラン、俺達の生業は獣の命を頂く戦いだ。
それは獣も同じだ。生きるために抵抗し、時に人を狩る。 
 山を脅かす《雷獣》も例外じゃない」
  「うん……」
  「故に俺達は山にいる間、獣と対等と言えると思わないか? 
だが、人間である以上、常に獣と対等ではいられない。
故に俺達は常に命と向き合い続けねばならん。
ギウンさんと共に二十年狩りをして、
それが真理と思うに至ったのだ」
  「命と向き合う……?」
「感謝する」でも「頂く」でもなく「向き合う」。あまりにも抽象的で広い意味を内包する表現だ。正直なところ、少年にはやや苦手な類の話だ。
   「その心は?」
 少年は真っすぐに歩める道を、答えが見える道を好いていた。ただ、同時に彼とて単純ではない。更なる迷いを抱える可能性、それ自体を危惧しているのだ。
  「決まった答えなど無い。それを探す道自体が重要なのだ。 
命を無意味にしないためにな」
   「無意味にしないため……」
   「そうだ、向き合い続け、受け入れ続けろ。
その相克こそが当人にしか見えぬ道標となるのだ」
少年は自らの生きる道にある重いモノを思い出す。そして同時に、他の道を選んだ者達の存在を想起した。彼らは、この命題をどう見ていたのだろうか。この戒から逃れたのか、はたまた新たな価値を見つけた末の選択だったのか……少なくとも密猟をする輩やスポーツハンティングをする貴族などにはその重みを見る目があるとは思えない。
   「……俺には難しいな」
   「それが自覚できるなら良い。見失うのは、いつも驕る者さ」
父が向ける表情は柔和だった。時に厳しい顔も見せる彼は、息子に葛藤を与える時にこそ優しく我が子を包んだ。
  「それにしても……
どうして《雷獣》に挑むにあたっての話がそれなの?」
  「――言うまでも無いが、《雷獣》に挑むのは
俺達を以てしても危険極まりない」
雪を踏む音が止む。少年は父が歩みを止めた事に気づくために、どういう訳か少しの時間を要した。
「つまり、俺達もヤツに狩られる側に回りかねない……
いつも以上に対等な――いや、不利な中で命を賭けるのだ。
それが何を意味するかわかるかシュンラン?」
少年は静かに頷いた。言葉で応じるのは怖い。
  「生きるための戦いの末に望まぬ結果に至ろうとも……
その時こそ、本質から目を逸らすな。
その事をお前に伝えられる、最後の機会と思ってな」
少年はこれまで、ただ一つの夢を目指してきた。父と共に 《雷獣》を狩って山を守り、ギウンを越える。そして同世代の者達と同様の選択をしなかった事の意味を証明する。そのためにひたすら修行を積んできたのだ。
だが、父は新たな命題を提示した。少年に新たなゴールを与えるためか、それとも他に意図があるのか。
いずれにせよ、少年は失う事となった。目標を、夢を、そして父を。
シュンラン・アイゼンが打ち砕かれたものの中から拾い上げられたのは、この事実に向き合うべきは怨恨ではないという事、それだけで止まっていた。
朝日が白笠嶽上層部の雪を黄金(こがね)色に染め上げる。一人の《マタギ》と二人の《森の遊人》は、小屋で確保した大量の物資を背に、金色に輝く山道を登り続ける。猛吹雪こそ収まったが、山特有の吹きおろし風は強めだ。斜面を覆う新雪を輝きのまま巻き上げる。登る者達の目には、あたかも光の粒子が自分達目がけて殺到するかにも見える光景であった。
予定通り、ほぼ夜明けと同時に山頂付近に辿り着くことが出来たと言える状況だ。これだけの装備を担いでなお、その速度を衰えさせる事の無い《森の遊人》の健脚あっての事だ。防寒着を手に入れた今、彼らは最早《マタギ》以上にこの山を征し得るかも知れない。
肝心の《雷獣》の巣穴は未だに山頂付近という事以外わかっていない。偵察を重ねるべきか、見つけ次第の急襲を仕掛けるべきか。一応、ケース別の作戦をサユとシュンランで検討してはいる。だが、シュンランの胸はざわついていた。自信が無い訳でも、サユを信用できない訳でもなく。ただ、如何に策を詰めようと、終着の見えぬ相手が《雷獣》なのだ。
「遂にこの時が……片割れに至るまで長かったけど」
  「だな、上手くいけばあのねちっこい野郎ともおさらばだ。 
やられちまった他の支族の連中にもやっと顔向けできるぜ」「それに、完全体の古代遺物も楽しみ。
《震天の雷剣》……名前は意味深だけど、どんな力が……」「その実験台があの変な耳野郎になる訳か。
ハハ、なかなかの皮肉じゃねぇか」
しかしサユとダウはシュンランと対極に振る舞っていた。二人は、ただ前を向く事を疑わない。サユであれば、決して単に楽観するだけという事は無いだろう。だが、二人はこの時点で既に来るべき脅威のその先を見据えているのだ。
そしてそれを支えるのは、自らの中で確固たる価値観を、原動力を醸成させている事なのだろう。
   「《森の遊人》か……」
《森の遊人》……七耀教会との盟約に基づく使命を守りながら、大陸東部を巡回する民。彼らには、彼らの受け継ぎ、守ってきた掟と営みがあるだろう。サユとダウはそれらに縛られるのではなく、自らの見出したものと調和させているのだ。
  「価値……価値か……」
二人を見てシュンランは、父と共に狩りをしていた頃を想起した。あの頃の自分には、目標があった。純粋だった。だから《マタギ》である事に迷いも不満も無かった。
   「――俺には何が……」
だがシュンランの目標は、未解の命題のみを残して砕け散った。惰性と慣性。今のシュンランは、それに寄りかかっている。
しかし――もし、自分に無いものを持つ二人との出会いが、潰えたはずの目標の一片との再会が、自分にもたらされた導きであるとするならば――
   「危ねぇ、二人共!」
ダウの叫びが、シュンランを現実に呼び戻す。それは同時に軽い痛みと衝撃を伴っていた。
  「……ダウ兄っ!」
シュンランとサユは二人纏めてダウに突き飛ばされていた。直後、ダウの至近に雷光が爆ぜる。
  「ぐっ……痛ってぇぇえええ! 何だこりゃ!」
不可視の壁に弾かれるように倒れるダウ。体表から微かに煙を(くすぶ)らせ、痙攣(けいれん)している。
――ぬかった。自らを縛る過去を想起するあまり、警戒を疎かにした自分の落ち度だ。あろうことか《雷獣》の先制攻撃を許してしまうとは。
   「ダウ兄、大丈夫!?」
   「ああ……お前も無事でよかったぜサユ。
体中が痺れるが、ハク婆のまじないも馬鹿にならねぇもんだ。
何とか立てそうだぜ……」
   「あー……そのペイント、雷除けのおまじないだったっけ。 
確か、絶縁体の樹脂だったはず」
ダウが一命をとりとめた事がわかり胸を撫で下ろしつつ、シュンランはすぐさま双眼鏡を構えた。
「すまない……俺が気を抜いたばかりに」
   「気にすんな……気づいてても避けられたとは限らねぇ。
今の内に敵を見つけてくれ……!」
二度と同じ過ちは犯すまい、奴にこちらが見えている今こそ、こちらも奴の姿を捉えるチャンスだ。
   「――いた……!」
早くもシュンランは、宿敵の姿を視界に収めた。
そこはまさしく雷を操る者に、そして外なる王たる者としての玉座に最も相応しい一点。
――《雷獣》は、白笠嶽の頂そのものから全てを見下ろしていた。
  続く

Chapter 9

第9回 刻限
「あそこだべな、件の雪崩は。こいつは酷ぇな……」
  「何でいきなりこんな局所的なのが起きたんだべか?」
吹雪が収まり、日の光が白笠嶽の新雪に新たな光を吹き込み始めた朝。長身と小太りの二人組の男が神妙な面持ちで山を歩いていた。蓑と笠を被り、それぞれ猟銃と槍を携えた典型的な《マタギ》だ。
雪崩自体は珍しい事ではない。だが、それ故この地に住まい、その災厄の何たるかを知る者達は、そこに不可解な要素が介在すれば、すぐさま違和に気づく。彼らは、山を脅かす(けが)れを見極めに赴くのだ。
彼らは崩落の跡を視界に収めるや足を速めた。改めて見ても状況的に発生の仕方が不自然な雪崩は、彼らの懸念を強める。「そういやシュンランの奴、昨日《頭領(スカリ)》と話したっきりだが
こっちさ来てるって事はねぇべが?
たまにここらも狩場にしとるって聞くが」
と、小太りの《マタギ》。普段であればそう遅くまで狩りをする事は無いシュンランが自宅に帰った様子も無いと聞く。故に彼らは不吉な予感に囚われ始めていた。
   「まあ、あいつも仮にもギウン様の孫弟子じゃ。
大丈夫とは思うが……心配は判んべ。
あいつも何かと思いつめとる。それが祟ったら……」
   「また《頭領》の誘いも断ったみてぇだしなぁ。
親父さんの事もあるし、気持ちは判らねぇでもねぇが…… 
最近の若ぇのは難しいもんじゃ……」
 二人の《マタギ》にとってもシュンランの状況は完全な他人事と割り切れるものではない。若者の流出が深刻なだけではない、《マタギ》である事への迷いを持つ者がいるのは普遍的な事象だ。その末に、今の状況がある。
   「昨晩は妙な雷を見たと言ってる奴もおった。
よもやシュンランの奴、《雷獣》に復讐しようと……」
二人はそんな話をしつつも、間も無く崩落現場に到着する。「自然に起きる雪崩じゃねぇ……じゃが、誰がどうやって」 「まさか《雷獣》がって事はねぇか?
あいつは雷の魔獣じゃが、何もかもが計り知れねぇ」
   「なおの事、シュンラン坊が心配だべな……」
検分しつつ、郷の者として考え得る最悪の可能性に考えを巡らす二人。彼らは気づいていなかった。外界より来たりし、彼らの想像を超えた脅威が雪の下で目覚めつつある事実に。
  (……シュンラン……《雷獣》……オレを沈めた者の名…… 
糧の名……)
《鬼》は氷雪の下で、刺青(いれずみ)の無い耳に外界より入る名を反芻(はんすう)していた。反芻する度に彼の身に宿る力が熱を取り戻す。雷の波動と、忌々しくも欲をそそる名。《鬼》がその猛りを取り戻すには最適な要素であった。
   「おい見ろ! こりゃ一体何の光だ!?」
   「ゆ、雪の中に何かがおるぞ!?」
《鬼》の身体に憎悪の熱が宿る。渇望の波動が湧き上がる。全身の文様が再び禍々しい光を燈し始める。
(――シュンラン――山猿――《雷獣》――シュンラン―― 
山猿――《雷獣》――!)
激情が、衝動が閾値(いきち)に達すと共に《鬼》は目覚める。間欠泉の如き蒸気と共に、その妖しい光に包まれた全身が露わとなる。「ひぃ! な、何か雪から出てきおったぞ!」
   「何たる面妖な……! よもや物の怪というやつか!?」
突如として雪の中から水蒸気と氷片を四散させ現れた怪異を前に、歴戦の山男達も思わず情けない声と共に尻餅をつく。 
《鬼》は自らに向けられた畏怖の視線を受け彼らを一瞥(いちべつ)した。「シュンランは……山猿、そして《雷獣》はどこだ……?」 「な、何じゃ! シュンランと《雷獣》を知っておるのか!?」
眼前に現れた見知らぬ怪異の口から見知った言葉が飛び出した事を受け、長身の《マタギ》が我に返る。彼はすぐさま、猟銃を《鬼》に向けた。
  「《雷獣》……シュンラン……オレに相応しい糧よ。
フン、貴様らも前菜程度にはなりそうか……」
  「わ、訳が判らねぇが、郷の仲間に害をなすなら……
おめぇは山の(けが)れじゃ! 儂らの山から退散せい!」
長身の《マタギ》が銃を放ち、続いて起き上がった小太りの《マタギ》も槍を持ち直す。
しかし銃弾は、当然の如く岩壁に阻まれ、虚しき火花と化す。「何じゃこの岩は!? 儂のスルベを防ぎおったぞ!」
   「こ奴……やはり物の怪か!?」
   「こんな怖ろしい奴が郷の近くにいたとは……!」
 再び恐れおののく《マタギ》達の前で、岩壁は(ひび)割れ、力無く崩れ落ちる。意図して解除したものではなかったが、それでも銃の一撃を受けるには事足りていたのだ。
  「まだ本調子ではないか……まあ良い。
丁度糧もいる。身体を温めてから向かうとしよう……」
《鬼》は自らの逆境をも、その渇望の中で闘志に変え、猛り狂う力を哀れな二人の山男に向け、岩の槍を(こしら)える。
  「何という事じゃ、これはきっと山の祟りじゃ……!」
   「お、臆するな! 儂らが戦わねば郷がどうなるかも……」 
猛り狂う赤い光を揺らめかせながら、ただの岩から成るにも関わらず、獰猛な覇気を帯びた槍を手ににじり寄る《鬼》。 
その姿は、まさしく煉獄より来たりし悪魔であった。
 朝の白笠嶽に響いた、虚しき銃声と壮絶な断末魔。しかし、無情にも山風はその叫びをも溶かし、流し去ってしまった。 
   「――こいつは……!」
白笠嶽の頂上近くにて《雷獣》からの死角となる洞穴に身を伏せていたシュンランは、災厄の兆しをその身に感じた。今直面しているもう一つの危機。山を侵す存在の鼓動を。
  「山の精が騒めく……《雷獣》とは明らかに違う気配だ」
  「わたしも感じた……この邪気には慣れてるからすぐ判る」 「彼奴め……もう目覚めたというのか……!」
一行は《雷獣》の居場所を特定した反面、本来の計画の多くが使えなくなった状況にあった。そんな最中での凶報である。
「いよいよ時間がねぇって事か……」
   「ああ……それでも、奴より先に《雷獣》を狩らねば……
あの狂人に……《鬼》に《雷獣》を譲ってたまるか……!」
解凍直後の《鬼》が険しい白笠嶽の上層をどの程度の時間で突破するかは未知数だ。即ち、時間との戦いでありながら、その刻限が如何様か不明なまま《雷獣》と戦う事ととなる。《鬼》の到達は、今この瞬間かもしれないし。逆に明日かもしれない。「……一層、急ぐ必要があるね。寄り道は出来ない」
  「小屋から出直すのも、作戦会議に興じるのも論外だな……」
シュンランは運び出した備品の数々を見渡す。数にこそ限りはあるが、《雷獣》の能力への対策を念頭に置いた選定だ。これを活かし、死中に活を求める事は出来ないか……。
 ここでシュンランの《マタギ》としての知恵が結実する。長年、どう自らの在り様に接続するか迷ってきた知恵が。
   「……一つ、俺に案がある」
しかしその案は、シュンランが何年もの間――父との最後の狩り以来、使わなくなって月日の長いものであった。
それが決着がための唯一の案となるとは、何たる皮肉か。 「――《巻狩(マキガリ)》でいこう」
《巻狩》――《マタギ》が伝統的に重視してきた、集団猟である。基本的にはまず、複数の《セコ》と呼ばれる追立役が獲物に退路を与えぬように包囲しながら、威嚇や牽制(けんせい)攻撃などを行い対象を予め指定されたポイントへ誘導する。その先に潜み待ち構える止め役の《ブッパ》が確実に仕留めるという戦法だ。
 《巻狩》は本来、同じ郷で生まれ育ち修行を積んだ者同士で行われるものだ。故に高度な連携や信頼関係、そしてその狩りにおける《頭領》の指導力に強く影響される。狩りのスタイルの異なる他の文化圏者を引き入れて成し遂げられるほど簡単なものではない。
それでもシュンランは、敢えてこの道を示した。
   「何でぇ、そのマキガリってぇのは?」
  「俺達流の集団猟法だ。……昔、親父と共に《雷獣》に使った。
割と良いところまで追い込めたはずだが……
装備と人数はその時より有利だ。上手くいけば或いは……」
とはいえ、他に手が思いつかないというのがシュンランの本音だ。特に連携面に関しては、全く違う環境で育ち、それぞれ違った狩りのスタイルを会得した者同士である。例え信頼があろうとも、技術的な面での擦り合わせは困難を極める。
   「……良いね、シュンラン。わたしは《巻狩》に賛成」
しかし、サユが賛意を示したのは思いの外早かった。
   「《マタギ》の伝統猟法。これに古代遺物の力と、
《雷獣》対策装備を組み合わせる」
合理的思考と独創性を持つサユであれば《巻狩》案を却下して対案を出すのではないかとシュンランは内心考えていた。その驚きは、顔に浮かんでしまっていたようで。
   「そこまで難しい話じゃないよ。
お互いの“クセ”が連携に影響する過程を省いて、
《雷獣》対策のものでそこを埋める。お互い条件は同じ」 
 サユは微笑みかけながらシュンランを後押しした。彼女こそが最も、《巻狩》を信ずるかのように。
確かに、特異な相手故に正攻法が通用しない以上、一般的な《巻狩》のしきたりに一から十まで従う必要性は無い。そして《森の遊人》特有の技能と《凝空(ぎょうくう)の筒》を活用できさえすれば、多くが埋め合わせられる。
  「……『想定外には想定外をぶつけよ』。
旅の《マタギ》が言ってた」
  「さて、サユの御墨付(おすみつき)も貰えたんだ。《巻狩》案、自信持てや。
言い出しっぺがそんな不安晒してたら、
出来るもんも出来ねぇってもんよ」
驚きのみならず、迷いも顔に出ていたようであった。ダウはそれを見透かした上で選択を迫る。肉体派のような印象だったが、やはりはサユの血縁者といったところか。
   「そうだな……二人の言う通りだ。
二人の事を巻き込む訳でもあるしな……
俺がここで君たちを信じ、気張らずどうするのかって話だ。
――よし、改めてやろう。“俺達”の《巻狩》を」
  続く

Chapter 10

第10回 《巻狩》
 《雷獣》の頭上に渦巻く黒き雷雲は、まるで彼の王冠のようであった。事実、山頂に鎮座して常に頭上の雲に干渉できる環境も、彼を食物連鎖の頂点たらしめる大きな要因だ。腹が減れば頭上の雲を雷雲に変え、適当な動物に落雷させれば良い。後はそれを玉座に持ち帰るのみだ。
だが、彼は知らなかった。雲に近く、自身が利用しやすい難攻不落の地形。それが異なる知恵を結集させた人間の手にかかれば、逆に自ら囲む巨大な罠となる事を。
山頂に至る道は二つあった。一方は山頂に向かって螺旋(らせん)状に接続する山道の終点。そしてもう一方は、両側面を岩壁に囲まれた急勾配な一本道である。
《雷獣》の運命を絶つ最初の使者は、螺旋山道からけたたましい声と共に現れた。
  「フォウ! フォーウ! 寝ぼけてんのかい熊さんよ!
おれはまだピンピンしてるぜ! フォーウ!」
《森の遊人》が狩猟時に発する特有の掛け声を響かせながら、軽快に岩の上を跳ね飛び山頂に躍り出るダウ。背中の篭には、《マタギ》の物でも特に古い、今は無き国の遺物たる単発銃が何丁も収められていた。先程《マタギ小屋》で調達したものだ。「ちっ、狐や兎とは勝手が違うぜ。だが、今はこいつが!」 
ダウが普段から相手にしている小動物とは違い、雄叫び如きは威嚇にもならない。無論それも想定済みだ。ダウは篭から小ぶりな単発銃の一丁を抜き、岩の上で撃ち鳴らして見せた。 
《雷獣》は一瞬動きを止めたかと思うと、全身の毛皮をで逆立てながら咆哮した。至近距離での銃声は明らかに脅威と認識している――普通の(ひぐま)魔獣であった時に《マタギ》に追われた記憶などがあるのか。何であれ、この瞬間においてそれは、彼が狩られる側に回った証に他ならなかった。
  「ハハッ、強がるのもここまでだぜ熊野郎! 次はこうだ!」
岩から岩へと《森の遊人》伝来の体術を駆使して飛び移り、雷撃を(かわ)すダウ。彼は撃ち終えた単発銃をその場の地面に突き立て、そして二丁目をすぐさま撃ち放つ。
《雷獣》が苦痛の声を上げる。二発目は威嚇射撃ではなかった。しかし、十数アージュの距離であっても、球体に過ぎない銃弾では、その分厚い毛皮を穿つには至らなかった。
《雷獣》はダウに反攻の雷撃を放つ。だが、この反撃がダウの身体を焦がすことは叶わなかった。
   「……マジで上手くいきやがった! やっぱりサユは天才だ!
こんな避雷針、おれには思いつかねぇ!」
ダウを守ったのは、地面に突き立てられた二丁の単発銃であった。撃ち終えた単発銃の銃身を避雷針とする事で《雷獣》との近距離戦を可能としていたのだ。
  「こいつぁ良い! 弾の数だけ避雷針がありやがる!
おら、《森の遊人》の本気を見せたるぜ! フォーウ!」 
銃を地に突き立てた分身体も軽くなり、より軽快に《雷獣》を翻弄するダウ。彼が《雷獣》の周囲に円を描くように機動しながら追い立てる先には、壁に挟まれたもう一方の山道がある。「サユ、そっちに行ったぜ! 奴さん、所詮はケダモノだ!」
「こっちも準備万端。ダウ兄、そのまま追い込んで」
反撃に備え帯電しながらも、狭い一本道を疾走する《雷獣》。しかし彼はその先で突如として障壁に阻まれ、噴出した膨大な火花と白煙に包まれた。
   「かかった……!」
《雷獣》の行く手を阻んだもの――それは、通路の左右を挟む壁に打ち込まれた、幾本もの矢であった。矢を支点に形成された直線状の力場が交差し網目状となり、それに沿って空気中の水分が凝結していたのだ。
   「この数を同時制御するのは初めて……
それでもやってみせる!」
凝空(ぎょうくう)の筒》の力とサユの力量によって作られたそれは、まさに“霧の檻”とでも言うべきものであった。“霧の檻”を突破しようとすればするほど、《雷獣》は高濃度の水分による漏電を強いられ、そのショートで自らを痛めつけてしまう。
  「退路もこのまま……!」
サユは続いて更なる矢を《雷獣》の後方に打ち込み、《凝空の筒》を発動させる。自ら発した雷撃に侵され悶える《雷獣》は後退に思い至るも、既にその道は絶たれていた。
   「うっしゃあ、まずは足止め成功だ!
流石はサユだ、このまま作戦通りに行けそうか!?」
   「長くはもたない……でも、シュンランの合図までなら……!」
進むも退くも“霧の檻”。しかし《雷獣》は如何に古代遺物の力を得ていようと、野生の獣。降伏の概念は無く、生存本能は万物に勝る。
《雷獣》はたとえ自らの力に焦がされようとも生きる可能性を選択した。絶え間ないスパークに身を曝し、無秩序な唸り声を轟かせながらも“霧の檻”への体当たりを敢行し始めたのだ。「畜生、奴さんヤケクソになりやがったぞ!」
   「シュンランの合図はまだ……これ以上もつかどうか……!」
サユのボウガンに据え付けられた《凝空の筒》は《雷獣》の漏電に同期するかのように、輝きの規則性を失い、時として青い光が弾ける。負荷による霊力漏れだ。これ以上“霧の檻”に力を注げば、暴発がサユを傷つけかねない。
  「よし……無茶は兄貴に任せろ!」
  「だ、ダウ兄!?」
 サユが傷つく可能性――ダウが行動を起こさぬ理由は無かった。ダウは《マタギ小屋》で調達したなめし革にガラス粉末と、自身のペイントと同様の樹脂を塗布した“絶縁体ローブ”とでもいうべきものを腰に巻いてきていた。それを頭から被り、同様の素材で作られたグローブを嵌めた彼は、“霧の檻”に飛び込み、《雷獣》へ肉薄する。弾ける閃光にローブを焦がされながらも、ダウは《雷獣》と同じ土俵に立ったのだ。
   「ダウ兄、流石にそれは……!」
   「サユの作った檻ん中だ、何も怖がるこたぁねぇ!
さあ、とっておきをくれてやるぜ、《雷獣》さんよ!」
ダウは《雷獣》に躍りかかる。その絶縁体のグローブを以て拳を叩き込む。体表に絶縁体の拳を叩きつけられた《雷獣》は打撃自体が致命傷になる事こそ無いが、更なるショートを誘発する攻撃の連続を受け、余裕を見せ続ける事は出来なかった。「はは、やっぱり銃よりこっちのが性に合うぜ。
よし、出し惜しみは無しだ! フゥゥウウウウウ……」
ダウは《雷獣》が怯んだ隙に大地を踏みしめ、全身の筋骨をバネと化し躍動させる。そして、山に満ちた気の循環に同化するが如き呼吸法が臨界を迎えた時、それは放たれた。
  「《シン》!」
ダウが大地を蹴り、彼を中心に震える空気を雪が可視化する。刹那に放たれた拳の一撃は、《雷獣》に命中するや、その巨体の重心を大きく揺さぶった。
《シン》――《森の遊人》が編み上げた体術の、一つの極致である。“心”と“芯”、そして“震”や“神”など複数の意を持つこの奥義は、全身の筋肉と骨を一つのバネとして完全に同期させる事で、下半身と上半身双方から生み出された打撃力を一点に集中させるのだ。帰るべき場所を持たず、旅を続ける中で生き残るために受け継がれた先人の知恵である。
  「ダウ兄も流石……! 《シン》も様になってきたね……!」
続いてサユは大きくよろめいた《雷獣》に、壁の上から幾本もの矢を射かけた。矢を受け、体勢の立て直しを阻まれた《雷獣》の喉元に見舞われるダウの追撃。後ずさりする《雷獣》は背後の“霧の檻”を気にする間も無い。再び自らの力に焼かれる罠に捕らわれてしまう。
  「致命傷にならずとも、一応の牽制にはなってる……!
 ダウ兄はまだいける?」
  「ああ、と言いたいところだが、グローブの方が逝っちまった。
すまんが長くは戦えねぇ!」
  「……わかった、陽動に徹して。ここからの攻撃はわたしが」
とはいえ、サユは《凝空の筒》をフル稼働させている状態だ。果たしてダウの《シン》にも頼らず射撃のみでどこまで《雷獣》を牽制できるのか……サユとて確信は無かった。
だが、間も無く二人は自分達の粘りが実を結んだ事を実感した。高地の空に響き渡る、その低さにも関わらず力強く、どこまでも通り行く重低音。それは二人が一つの役目を完遂しきった証であった。
   「法螺貝……シュンランも準備を終えたよ!」
「ハッ、あの野郎待たせやがって!
だが、お陰様でこっちも柄を立てられたってもんよ!
サユ、今一度おれらの意地であいつを唸らせてやろうや!」「勿論……!」
サユは壁を降りると同時に、“霧の檻”の山頂側を解除する。合流した二人は山道側の“檻”を背に、《雷獣》の背に更なる牽制攻撃を叩きこむ。
“檻”の一方を解除し負荷を減らしたサユに至っては、《雷獣》の身体に打ち込んだ矢に直接水分を凝集させて攻撃するほどの戦いぶりだ。そう、作戦の次の段階は山頂に戻るよう追い立てる事。万全の備えで構えるシュンランの待つ山頂に。
まさにこれぞ《巻狩》。
 玉座が墓標に変わる瞬間。その時がために、二人はひた走る。
獲物を追い込むその先に待つ仲間が、未来を掴むと信じて。
  続く

Chapter 11

第11回 時を刻むために
 必ず二人が《雷獣》をここに導いてくれる――理屈では表しきれぬ新たな仲間への確信が、猟銃(スルベ)を握る手の震えすらも抑制し、運命の時を前に平静をもたらしてくれる。
シュンランは法螺貝を咥えた時、サユとダウの頼もしき笑顔を強く思い浮かべていた。
《雷獣》の縄張り内で法螺貝を吹く事が自殺行為である事は百も承知だ。だが彼は《雷獣》の咆哮を越え山の果てへ響かんほどに、力強く法螺貝を吹いていた。
あの二人であれば、必ずや《雷獣》を拘束した上で無事に合流してくれる――彼が敢えて獲物に自らの居場所を晒せたのは、(ひとえ)に信頼あってのものといえよう。
彼らがいれば、《雷獣》に見つかるのも怖くなどない。
   そして、その音色が呼んだのはまさしく希望であった。
  シュンランの狩るべき宿敵の唸り声と足音、そしてそれを追う二人の掛け声が同時に接近する事が判る。
サユとダウに陽動と追い立てを任せていた理由。それは、罠を敷設し、確実に《雷獣》を自らの射程へ誘導するためであった。ダウが通った螺旋(らせん)山道の接続点には、踏まれると水と金属片を撒き散らす罠がこの間に設置された。虎バサミの機構部をベースにありあわせの素材で作ったものだが、《雷獣》の能力を攪乱し、牽制(けんせい)するには一定の効果が見込まれる。
そして、退路を塞がれたまま追い立てられた《雷獣》は崖になった山頂の端から、下方を囲う螺旋山道に飛び降りるか否かを迫られ――その下に数多の罠と武器を備えたシュンランが待ち構えるのである。
   (遂にこの時が……まさかこんな形で巡って来るとは)
シュンランの中で、幾種もの熱い情動が煮えたぎり、循環する。その多くを如何に名状し得るか、シュンランには気にする余地も無い。それでも確実に言える事もある。
   (……この期に及んでも、やはり《雷獣》に憎しみはない。 
……それでも、絶対に狩りたい)
シュンランは父を失ってからこの方、一度も《雷獣》を恨みはしなかった。唯一の肉親を失った喪失感、悲しみ……それは確かに本物であった。だが同時に、父は《マタギ》として山の命と対等に向き合い戦った末に散ったのだ。山を守るべく自然の摂理の中での戦いに身を投じ、そして相手の生存本能にその刃を至らせられなかった。それをどうして単なる私怨に変えられようか。
今のシュンランを動かすのは、ただ未完の目標へのリベンジの渇望であった。そう、それで良かったのだ。
   「……俺は“続き”ができるんだ……!」
目標としていた人を、そして彼との共通の目標を失ったシュンランは恐れていたのだ。《雷獣》への恨みに捕らわれ、父の遺した命題から離れてしまう事を。
  (……親父、仇は討たないが……
次こそ代わりに成し遂げてみるよ)
命と向き合う事、《マタギ》として戦う事。父の遺した命題は未だ完遂された訳でもない。だが、それが自らの中で干乾び絶えてはいない。今のシュンランには、それで十分であった。自らの存在証明。惰性(だせい)に動かされながらも《マタギ》を続けた日々の先に至ったこの瞬間。過去が無駄にならなかったという希望を、外の世界の使者がもたらしたのだ。
  「来たな……!」
螺旋山道の岩陰に身を潜めたシュンランは、頭上の山頂より雷撃が一挙に暴発する音を、そしてサユ達が更に追い立てる声を耳にした。シュンランの法螺貝に対を成す信号。
シュンランはそれを受けてから数拍子――《雷獣》の気配が限りなく直上に近づいたその刹那、その手に握られた一本の縄に全体重をかけ、背負い投げの要領で一挙に引っ張った。
頂の崖が、その一端が崩れ落ちる。切り立った山頂の崖――その隅に突き立っていた一つの岩が引き抜かれていた。その安定性に欠ける、バルコニーにも似た山頂の突出部は一つの支柱を失うや、一押しの刺激を引き金に崩壊する。皮肉にも、その引き金となったのは玉座の占有者の質量であった。
   「《鬼》を雪に埋めたサユの策……
本当に丁度いい機会に見られたもんだ……!」
シュンランが事前準備に時間を要したのは、山道を塞ぐ罠のためではない。地形そのものを罠に仕立てるためであった。一本の縄を張ると言えば容易い。しかしその実、テコの原理を利用すべく棒を岩の下に差し込み、崖下の山道へ接続させる事は決して容易ではない。シュンランはそれを、サユとダウが陽動した僅かな時間の内に成したのだ。
「《雷獣》……!」
追い込まれた《雷獣》が岩片や雪と共に山道へ滑落する。高さにして十五アージュ……《雷獣》の転落死は望めない。シュンランは予め落下予想地点にも鉄菱などの罠を仕掛け、その動きを確実に封じた上で畳みかける腹積もりであった。
しかし、全てが計画通りに進むとは限らないのがこの世界。《雷獣》は落下中に壁面の凹凸に衝突したことで軌道が変わり、罠の置かれていない地点――それもシュンランのまさに目の前に落着してしまった。
   「……そう来るか。だが、俺はもう迷わない!」
シュンランはむしろ高揚した。最後の決着は、自らの手を以てその命に触れて下せ。そう導かれているかのようだった。 
「《雷獣》、偽りの王! 《マタギ》として、次こそ決着を!」
シュンランは猛る。それは、五年前の戦いから直結した戦いであった。
白笠嶽の山頂へ至る螺旋状の山道。シュンランと《雷獣》は、今まさにここで邪魔するものも無く相対していた。シュンランはさらに下の山道に落ちる崖を、《雷獣》は山頂側の崖の壁を背に立つ。(ひぐま)と《マタギ》らしく互いの飢えと殺意に満ちた視線を真っ向からぶつけ合い、両者の間に一筋の線を形作る。 「決めてやる……!」
先に動いたのはシュンランであった。消耗した《雷獣》が壁に背をつけているうちに一気に畳みかけねばならぬ。彼は麻袋に詰め込まれた矢じりなどの小さな刃物や金属片を、帯電を強める《雷獣》目がけてぶちまけた。
一挙に決着へ持ち込もうと目論んでいたのは《雷獣》も同様であったのか。金属片が撒き散らされると同時に雷撃が炸裂する。しかし、それが彼の者にとっての命取りとなった。
   「かかった!」
無数の地面に刺さった刃物や宙を舞う金属片が雷撃を吸収し、暴発させて織り成す閃光と火花、蒸気のカーテン。シュンランはそれを突き抜けて《雷獣》に肉薄した。火花が毛先を焦がし、雷撃の残滓(ざんし)が身を叩く。
   「ここまで詰められたのは初めてか、《雷獣》!
そうだろうなぁ、だが!」
シュンランは、《雷獣》の瞳に魔獣でありながら驚愕の色が浮かんでいる事がどういう訳か判った。全身から煙を(くすぶ)らせた人間により、銃をその口腔内に突っ込まれた《雷獣》の焦る様。「いくら皮が硬くともゼロ距離なら……!」
シュンランの猟銃が《雷獣》の中で火を噴く。
銃火よりもなお赤い鮮血がそれを上塗りするが如く獣の口から噴き、シュンランの白い肌と《雷獣》自身の毛皮を紅く彩る。
しかし、これが命への執着か、野生の活力か。《雷獣》はまだ息絶えてはいなかった。眼球が、前足が動いている!
   「ぬかった……!」
離脱の構えで銃を引き戻すシュンラン。しかし、《雷獣》は逆に自由を得た顎を以て、シュンランが飛び退くよりも速く反撃に打って出た。
「……痛ッ……!」
獣に咬まれたのはいつぶりだろうか。肩を《雷獣》の牙に捕われたシュンランは、その激痛と裏腹にそんな事を思った。この痛みも、いつしか忘れかけていたのか。
――逃がさぬぞ。そんな声が聞こえた気がする。体内に銃弾を撃ち込まれながらも、自らの血に濡れた顎で反撃を試みる異形の羆。その執念が、この距離だからこそ分かる。
   「逃がす気が無いのはこっちもだ……!」
シュンランは《雷獣》を引きはがさなかった。逆に組みつき身体を固定して、手にしたナガサを幾度も《雷獣》の首筋に突き立てる。刃を伝い逆流し、弾ける雷撃。互いの生への渇望が渦巻き、両者は地を転げ、(もつ)れながらも牙で、刃で突き続ける。
 ――そして、やがて両者は地べたで組みつき合ったままその動きを止めた。
しばしの静寂を経て――先に立ち上がったのはシュンランであった。白い肌とコートを紅く染め上げるもののどこまでが自分のもので、どこからが敵のものかも最早定かではない。雪の下の泥も混じり、まさに人間が野生の洗礼を受けた姿だ。
しかし、それでも彼は立っている。ふらつきながらも、額から垂れる血に視界を遮られようとも、牙を受けた肩が満足に動かずとも。彼は生きているのだ、そしてなおも戦っているのだ。
彼は銃を拾い上げる。何故か。銃を再び手にする彼を追う視線が目の前にあるからだ。――《雷獣》もまだ命の灯を消してはいなかった。自身に深手を負わせた者を睨みつけながらも、その手足をぴくりぴくりと動かす。呼吸の度に血を吐こうと、心臓を稼働させ続ける。命がある限り、立ち上がる意志を持つ。
シュンランは、拾い上げた猟銃に弾を込め、そんな《雷獣》の眉間に押し付けた。
一つの命を絶つ、一つの音が、再び木霊する。
  続く

Chapter 12

第12回 新たな道へ
 その日、白笠嶽(しらかさだけ)の秩序を乱す脅威が一つ潰えた。
《雷獣》――招かれざる偽りの王。彼の存在はその呪われた出自にも関わらず、奇妙な縁に導かれた一人の青年が相対し、そして引導を渡す事となった。
  「やったな……シュンラン」
   「……おめでとう。一つの目的を、無事に終えたんだね」
共に《雷獣》を狩った新たなる仲間からの、祝福の言葉。それを耳にして、シュンランは自分の姿に気が付いた。
《雷獣》の絶命を確信したシュンランは、その躯に背を委ね休息していたのだ。気づくや長年の宿敵にして目標たる存在に身を寄せ、現実感を回復させていた。山頂の雲も晴れ日が両者を照らしている。血を流したからか、激戦で熱くなった身体が急速に冷えるのを感じたシュンランは、ただ《雷獣》を背に座って空を見ていた。
   「ああ……ようやく止まった時間を少し動かせた気分だよ。 
だが、決して俺だけの勝利じゃない。
君達がいなければ、俺はただ……」
たとえこれが、自分の過去を断ち切るための戦いであったとしても。仲間を得る事、力を合わせる事も無駄とはならなかったのだ。
  「なら、わたし達もお礼を言うよ。
わたし達だけでは……その古代遺物を手に入れられなかった」「そうだったな……よし、待っててくれ。今取り出すよ」
シュンランは山刀(ナガサ)を手に立ち、動かぬ宿敵に再び向き合う。
 ――シュンランと《森の遊人》。どちらが欠けても、成し遂げられなかった。互いの目標のために、互いを補う事。それはシュンランが、長らく忘れていた価値であった。
  「やはり硬いな……」
シュンランは《雷獣》の腹をナガサで裂く。今、自分の成した一つの目標が、時計の針を動かすための戦いの成果が、力を貸してくれた者達の未来に変わろうとしている。
……これが価値か。獣の腹を捌くという行為とは裏腹に感じる気恥ずかしさ。赤面しているなら、返り血は好都合だ。
  「手間かかりそうなら手伝うぜ?」
  「いや、大丈夫だダウ。コツは掴めてきた。
君は周囲を警戒してくれ……次の戦いも近い」
「……判った。ともかく、親父さんの仇だったんだろ?
これであんたもケリをつけられたって事だな」
  「仇、とは少し違うと思うな……。
そんな簡単に済ませるのは、親父も望まないだろう」
   「へぇ、お前もサユみてぇな事言うんだな。
仇じゃないなら何だってんだい?」
   「今はまだわからないが……
だからこそ、それを探す事が意味を持つのかもな……っと」
自ら至った命題への一歩を噛み締めつつ、シュンランは《雷獣》の体内から、一片の金属塊を引き抜く。
  「次は、俺が君達に力を貸す番だ」
《雷獣》の胃袋の周辺に融合し、独自の生体器官の形成を促していたそれは、一振りの短剣の刃であった。いや、刃渡りこそ短いが短剣と呼ぶにはナガサと比しても重厚だ。丁度、西方由来の“グラディウス”系統の剣が近いかもしれない。
   「こいつが羆魔獣を《雷獣》に変えた古代遺物の断片……
という事で良いのか?」
  「うん、前の《ホコラ》にあった巻物に書いてた通り。
それが《閃電の刃》で間違いないはずだよ」
   「刃……なるほど、そういう事だったんだな」
付着した《雷獣》の体液を拭い、《閃電の刃》をサユに渡すシュンラン。その刃は、サユの手にした《凝空(ぎょうくう)の筒》に寸分違わず嵌った。《凝空の筒》は、《閃電の刃》を咥え込むための柄だったのだ。
「最初は笛の類かと思ってたな。なるほど、古代の剣か……」「そう、これこそがわたし達が探し求めていた古代遺物―― 
《震天の雷剣》……」
二つの古代遺物が一つに組み合わさった時、《震天の雷剣》はまばゆい閃光と蒸気を噴出させた。そして、それが晴れた時、サユの手元にあったのは先ほどまでさび付いていた筒と、獣の血肉に汚れていた刃から成るとは思えぬものであった。金色に輝き力強く、しかしどこか叡智(えいち)の風を感じさせるほどの美麗さ。「それにしても、雷と水を司る古代遺物か……
《鬼》を倒せるというが……妙な組み合わせだ。
君達はこれの意味するところは聞いているのか?」
  「巻物にはそこまで書いてなかったけど……
 でも、今なら大方察しはつく」
   「古代遺物の秘められた本来の力……
あの《鬼》を相手に逆転できるとは、一体どんな……」
《雷獣》、そして《震天の雷剣》。
この地に存在した二つの特異な存在は、シュンランと《森の遊人》の両者が手を取り合い、求められた形となった。
――だが、そんな希望すらも、絆すらも打ち砕く存在。それは、たとえ彼の者に先んじて《雷獣》を狩ろうとも健在で。 「サユ、シュンラン……言いづらい事だが……
どうやら思ってた以上に余韻に浸る暇も無さそうだぜ?」 「ああ……忘れてはいない」
   「あれを倒さないと、わたし達の戦いは終わらない……」
 三人は一方向に視線を向ける。
山の騒めき……この距離でも判る明晰(めいせき)な殺意と欲望の存在。「思った以上に登頂が早かったな……さて、どうするか……」
《鬼》もまた、三人の視界の中央で、彼らに眼光を向けていた。殺意と闘志に限るなら、一人で三人の総量をも上回る熱量をその双眸(そうぼう)に秘めて。
  続く

Chapter 13

第13回 終わりなき戦い
 遂に討たれた白笠嶽の脅威《雷獣》、そして長く探し求めてきた《震天の雷剣》を手にした《森の遊人》。
しかし、それを成した者達の未来すら破壊せんとする最後の脅威――それは既に、山の勇者達に追い付いていた。
  「見つけた……ブツは完成させたか。なら手間が省けて結構。
オレは《雷獣》すら倒した貴様らを糧にするのみ」
  「フン、随分と早い登頂じゃねぇか。
今度もまた奇天烈(きてれつ)な手品を使ったのかい?」
ダウの疑念は尤もだ。如何に健脚なれど《鬼》が復活した気配を放った瞬間から、それほど時間は経っていない。
シュンランは《鬼》が通ってきたであろう彼の背後の経路に形成された、見慣れぬ地形を認めた。
   「なるほど、流石は《岩壁使い》ってところか……」
  「その通り……壁しか作れんほど単純と思うなよ?」
牙を見せほくそ笑む《鬼》。
《鬼》は岩壁形成能力を応用して階段などの通路を確保する事で、驚異的な地形突破をも可能としていたのだ。
   「とにかく、オレは貴様らを狩る。そして《マタギ》の小僧。
《雷獣》に勝った貴様にも興味が湧いた。糧としてくれる」「糧だ糧だとしつこい奴だ……!」
《鬼》の戦う理由。それが、単に古代遺物の強奪自体に留まらない事は最早明白であった。まさに戦いのため、殺戮のために力を求め、糧を喰らう。――だが、一体何がその渇望を加速させる原動力たり得るというのか。
「……わたし達は糧になる気なんてない。
その憎しみを受ける義理も無い。
成すべきことのために抗う。だから、答えは変わらないよ」
サユは長きに渡り自らを脅かしてきた存在を、まっすぐに見据えて言った。彼女の意志は変わっていない、一貫している。それでも、《震天の雷剣》を手にした彼女が見せる眼差しは、ただまっすぐなだけでは無くなっていた。太く強く、貫徹力を増している。
  「フハハ、古代遺物を手にして既に勝った気とは。
哀れだな。オレの雇い主の手に渡るのは変わらんというのに」「わたしが得たのは《震天の雷剣》だけじゃない……
新しい価値、新しい知恵、新しい仲間……!
 だから今度こそ、勝ってみせる……!」
サユは《震天の雷剣》をセットしたボウガンを《鬼》に向け構えた。その様には、シュンランが取り戻したい姿の一側面、それがはっきりと浮き上がっている。
   「新しい価値、新しい知恵、そして仲間か……
そう、俺も今日それを得たんだ。応えない訳にはいかないな」
シュンランも消耗した肉体に活を入れ、その猟銃(スルベ)を《鬼》へ向ける。共に《雷獣》を狩った仲間。どうして彼らがために身を賭さぬ理由を、《雷獣》による損耗に求められようか。《雷獣》と戦い、傷つきながらも勝利を得てここに立っている事こそが、二人との絆の証なのだ。
  「シュンラン――《雷獣》を狩った《マタギ》よ。
 望み通り貴様も纏めて喰らう。
オレの獲物を取った以上は……失望させてくれるな」
恐れない。《雷獣》の壁を越え、そしてそれを共にした仲間が傍らにいるシュンランならば。《鬼》――必ずやこの脅威を打ち破り、二人から得たものを携え生還するのみだ。
  「おれももう一肌脱ぐぜ!
サユがやる気になったからにゃ身体を張るっきゃねぇ!」 
《鬼》に先んじて一番槍をつけたのはダウであった。素早く跳躍するや、崖の壁面を蹴る立体的な機動を以て《鬼》に肉薄。その間にシュンランとサユも間合いを確保し、武器を構えた。「ダウキーック!」
崖を駆けたダウの空中回し蹴りが《鬼》の頸椎目がけて炸裂せんとする。無論それを阻むは岩の盾。
  「同じ手が二度も通用するか、たわけ!」
   「手じゃねぇ足だ! てな訳で、間抜けなのはお前だ!」
  「……!」
ダウが余裕の表情を崩さぬまま岩盾を蹴って離脱したかと思うと、同時に霧を纏った矢が《鬼》の側面に飛来した。
岩盾を右手から左手に移し、辛うじて矢を受け止める《鬼》。しかし、矢が突き刺さると同時に銃弾も命中。小ぶりかつ即席の岩盾は崩壊こそ免れど、その芯をも貫く(ひび)を許してしまう。「ははっ、おれは陽動。やっぱり同じ手にかかってるぜ!
頭まで石頭なのかい、石ころ野郎!」
  「愚弄しおる……オレは《岩壁使い》だ……!」
「サユ、ぶっ放してやれ!」
刹那、岩盾に突き立った矢を中心に落雷にも似た閃光と熱波が炸裂した。衝撃波は罅に沿って岩盾を砕き、熱風が《鬼》の体表をチリチリと焦がす。
  「初の試射だったけど成功……
案外コツは掴みやすそうかも」
《閃電の刃》を手にしたサユの一撃である。彼女はこれまで通りに矢を支点に水分凝結をする一方で、生まれた霧によって実体無き導線を形成したのだ。これが長距離かつ指向性の雷撃を可能とする。――だが、その炸裂の中に秘められた雷撃以上の存在に気づく者は、サユの他に無かった。
  「確かに頼れる武器ではあるな……大した威力だ。
 《雷獣》め、こんなものを咥え込んでいたのか」
   「でも……《震天の雷剣》の真の力は多分これだけじゃない。
水と雷撃に今の“爆発”。本来の目的、もしかして――」 
サユが何かを伝えようとした時、その言葉は《鬼》の急接近により断たれる事となった。
   「先に貴様らから――」
サユとシュンランによる遠距離攻撃に業を煮やした《鬼》は、自ら背後に形成した岩壁を蹴る事で“水平に跳躍”して一気に距離を詰めたのである。
   「くっ、サユ危ない!」
《鬼》が振りかざす岩の剣を受け止めるシュンラン。しかしその一撃は、彼が長年狩りを共にしてきた山刀(ナガサ)の刃ばかりか、柄元まで粉砕するほどであった。
   「そんな剣で防ごうとは片腹痛い!」
   「それでも、抗う術なぞいくらでも!」
シュンランは飛び退くと同時に、儚く砕け散り雪の如く宙に舞う愛刀の細かい欠片の一部を、空中でその掌に受け止めた。そして微細に砕かれてなお刀剣の名残を持つ鉄片を、《鬼》の顔面に投げつける。
   「ぐっ、目が……! 小癪(こしゃく)な……」
  「小細工は得意と言ったろう! よし、今だ!」
シュンランとサユはさらに飛び退き、《鬼》の射程を離れんとする。同時に、《鬼》の背後からダウが殴り掛かる!
   「一本貰ったぜ!」
 ダウの拳が《鬼》の背中を打つ。しかし、その拳は《鬼》を狙い通りに弾き飛ばすより先に、その場で止まっていた。
  「だはっ……ぬ、ぬかった……ッ!」
   「ダウ兄! 何て事……」
ダウの脇腹に、鋭く切り立った岩の先端が食いこんでいた。それは《鬼》が咄嗟(とっさ)に作らんとしていた未完成の岩壁であった。ダウの俊敏な肉薄攻撃は皮肉な事に、敵の中途半端な防御によって自身を傷つける結果を招いてしまったのだ。
  「相変わらず貴様は甘いわ。悔いに塗れて果てるがいい」
  「畜生ここまで来て……! 何とかサユだけでも……ッ」
ダウは膝をつく。急所を外しているとはいえ、出血による消耗は、敵を眼前にしている彼にとって致命傷に等しかった。 
 地面を転げ《鬼》の追撃を必死に回避するダウと、《鬼》の攻撃を少しでも封じるべく銃撃を続けるシュンラン。このままではジリ貧だ、二人がそう悟り始めた時、サユが不意に口を開いた。
   「ねぇ……この山に一本道になったトンネルか井戸はある? 
ある程度の深さが欲しい」
その問いは、この状況下においてある意味の不相応に思える。だが、彼女の脳裏に浮かんだ事が無駄であったことがあろうか。「……いくらか下の方に、条件の近い洞窟なら。
長さは10アージュ弱くらいだったか、一本道だ」
故に、シュンランは目の前で《鬼》に(なぶ)られるダウがいるからこそ、その問いに素直に答えた。《鬼》はダウの追撃に意識を向けている。相手に聞かれずに策を講ずるならば、次の機会がいつになるかも分からない。
  「考えがあるんだな?」
   「……かなりの賭けではあるけど」
  「気にするな、ここまで賭けを重ねてやって来れたんだ。
次も君を信じるさ」
  「シュンラン……ありがとう。――《震天の雷剣》の真の力。
わたしの予想通りなら、閉鎖された空間でこそ……」
   「なるほど……そういう事か!」
サユの思い至った可能性には、シュンランにも覚えがあった。昔、巡回神父の自然科学の授業で聞いたある現象。サユの示す可能性がそれと同じものであるとするならば……。
「――賭けよう。《雷獣》を陽動した山道を真っすぐ下れ。 
しばらく行けば洞窟が見える。二人で先に行っててくれ」 「シュンランは……?」
   「下準備がいるだろう? 土地勘のある俺が奴を引き付ける」
借りを返す時が、そして彼女に更なる信頼を捧げる時が、まさにこの瞬間であった。
  続く

Chapter 14

第14回 不条理なる猛り
 迷う理由は何も無い。因縁から解き放たれたシュンランが、その力を新たな仲間のために捧げる事に。
仲間の離脱を促したシュンランは、銃を放ちながら《鬼》に突撃した。その意図を悟ってか、同時に響いたサユの呼び声に呼応したダウは力を振絞って飛び起き、《鬼》の隙を突いて姿を消した。
   「フン、逃げ足は相変わらずよのう、山猿」
  「《鬼》! 次は《雷獣》を狩ったこの俺が相手だ!」
《鬼》は背後からの声と銃弾を振り返る。去るダウを横目にしばし逡巡するも、やがてシュンランに暴虐な笑みを返した。「面白い……一騎打ちを望むか《マタギ》の小僧!」
  「ああ、山を守ると決めた以上先陣を切る!」
   「フハハ、面白い。身の程知らずは嫌いじゃない。
味わわせてもらうぞ、《雷獣》を狩りしその力を!」
《鬼》はまたしてもシュンランの挑発にまんまと引っかかった。だが、この男のかような単純性は、シュンランの胸中にどこか薄気味の悪い違和感の影を差す。
   (……こいつは古代遺物の奪取と戦いそのもの――
ひいては、《森の遊人》の駆逐と自ら強くなる事。
そのどれを優先して動いているのか、まるでわからない……)
シュンランは《鬼》を誘導すべく走りながらも、相対する敵の秘める異様さを改めて実感する。
この男、何らかの組織のために古代遺物の奪取を担っているかのように見えて、その実《森の遊人》を狩る事、そして力を得るための糧を得る事と、目的が混在しているのだ。そしてその都度、優先度が乱高下している。
  (……何を標的にしだすか判らないって意味でも、
放っておく訳にはいかないが……)
故に自分が《鬼》を討たねばならない。だがシュンランは、あまりにも(いびつ)な闘争心と欲望、そして使命感に支配されて暴れ続ける敵を前に、一種の哀れみも感じつつあった。
――かくも哀れな存在には、なおの事負けられない。
やがてシュンランは、牽制(けんせい)射撃で《鬼》を引きつけつつも、山肌の凹凸や木の少ない斜面に到達した。その地形故に深い積雪が、そのなだらかな表層を維持した一帯。滑るにはまさに最適だが、その手の開発は行われず手付かずで残っている雪原だ。
「フン、姑息な《マタギ》の事、
どんな迷路に誘われるかと思えば。甘く見られたものよ」 「それはどうかな?」
振り向きざまに火を噴くシュンランの猟銃と、地面に叩き込まれる《鬼》の拳。遮るものも無い空間を疾走する弾丸は、岩壁によって無為な火花に姿を変える――はずであった。
   「馬鹿な……何故オレの岩壁が……!?」
《鬼》が形成した岩壁は彼の身体を覆い隠すには低過ぎる代物であった。岩壁の上辺を掠った事で僅かに軌道が逸れただけの銃弾が、《鬼》の肩の肉を抉ったのだ。
   「岩壁が不完全だと……貴様、一体何をした!」
  「俺は何もしていない。周りを見てみろ」
 二人の立つ新たな戦場は、深い積雪の残った平面上だ。《鬼》は地面への干渉を雪に阻まれる環境に誘われていたのだ。
刻まれた呪文の帯びる意味すら変えんが如くその顔を歪める《鬼》。とはいえ、相対するシュンランも、余裕を表情に出す事ができる状況ではない。
  「……改めて問う。お前は何だ? 自分の力の限界も分析せず、
更なる力を求める。古代遺物の奪取はついでの仕事で、
《森の遊人》を皆殺しにしようとする。
お前がまともじゃないのは判るが、それを差し引いても……」
シュンランの敵への哀れみと怒りの双方が昂る。かつて目的に迷い、そして目的に価値を見出す少女に出会った自分だからこそ判る。この狂人の歪さの本質が。
「お前の戦う理由やら目的やらは、何かの都合で……
“継ぎはぎ”でもされてるみたいだ」
《鬼》の(かお)の歪みが増す。遠目にも、そして刺青(いれずみ)の存在にも関わらず血の気が引き、冷や汗を流しつつある事が見え始める。「そういや、その能力も貰いものだみたいな事言ってたが……
あんた、戦う目的も生きる意味も“貰いもの”――
いや、“借り物”に過ぎなかったりするんじゃないのか?」「……黙れェ! 黙れ、黙れェ!」
《鬼》の身体を覆う刺青が、これまでよりも一層強く赤黒い光と熱波を迸らせる。その禍々しい光の中心に影を浮かべる彼自身すら灼かんほどに。
   「図星か……」
「黙れ、黙れ黙れ! 貴様に、オレの何がわかる!?
故郷を、全てを連中に奪われた“はず”のオレの!
力を、糧を求めて何が悪いか!」
  「《森の遊人》が故郷を? そんな連中とは思えないが…… 
そいつも例によって借り物の記憶か?
それに分かるさ、あんたが哀れな奴だって事くらい」
《鬼》は最早、口から言葉にならない魔獣の如き唸り声すら漏らし始めた。彼を突き動かすもの、その皮を剥がされた骨組みが暴走し、無秩序な行動を加速させる。
   「殺す……狩る! オレは《森の遊人》を狩るため……
糧のためとにかく貴様を狩る……!
判らんか、貴様も狩人ならばこの飢えが……!」
「何が狩りだ! 断じて違う!
俺はお前の所業を狩りとは決して認めない!」
一進一退の攻防。優位と理性を喪失しようともその身を焦がす衝動が消える事の無い《鬼》は、岩の刃を射出できずとも、強引に全能力を以て壁を作りながら突進する。そしてシュンランは、迫りくる壁に銃撃を加えながらも下方へ下方へ、ただ敵を見据えたまま退がり続ける。
《鬼》は空虚な存在だ。彼が糧を喰らうがために戦うのは、永遠に満たされぬものに偽られ、そして駆られるため。
   「俺達の“狩り”は生きるため、何かを成すために……
命と向き合う事だ! お前の空っぽな衝動とは違う!
その身勝手で空虚な暴力と一緒にするな!」
 故にシュンランは負けないと、改めて確信していた。何かを見つけるため、守るため、受け継ぐため……価値のために戦う者が、己の空虚がためだけの破壊者に何故届かぬか。
  「ならば、オレの戦いは……
オレが壊してきたモノは何だったというのだ、小僧!」
《鬼》は防御に集中させていた岩壁を纏ったまま、その重みに身を任せ、斜面に沿っての突進を始めた。自らを保つ欺瞞(ぎまん)、膨れ上がるその内圧諸共シュンランを押し潰さんがために。 「知った事か! それを知るためにすら戦えない、
だからお前は負けるんだ! この山で!」
それでもシュンランが、かくも空虚なものに圧壊される事は無い。今のシュンランは、人間を支えるものが、自らを保ちながら戦う所以が何であるかを学んでいる。そして、自分よりもそれを深く知る者と手を繋いでいる。
《鬼》の空虚な岩の一撃は、硬く重い支柱に満たされし青年を捉えられず、虚しく雪と空気のみを掻き乱す。
  「(かわ)した!? どこだ!?」
   「相変わらず前を見ないな、お前は!」
シュンランは、木の板に――かつてこんな僻地(へきち)にも小屋程度はあった時代の残滓にその足を乗せ、雪面を滑走していた。 
怒りに任せ、自身の眼前を覆った岩壁ごと猪突する《鬼》は、その予備動作すら見抜けなかったのだ。
シュンランは雪上を疾走しながらも振り向きざまに銃撃を繰リ返し、着々と《鬼》を引き離していく。
「だが……だが雪さえ浅くなれば形勢逆転だ!」
しかし、山を下るにつれ地肌が散見されることに気づくや、《鬼》は再び虚勢を見せる。この青年さえ、自分を支える欺瞞に触れた者さえ狩れば――
彼は知らない。シュンランが《鬼》に有利なはずの岩地へ迷い無く駆ける理由を。
  「洞窟……!」
何故ならば、その先にシュンランと支え合う仲間が待っているから。そこに信じられるだけの意味が、価値があるから。 
その目印が目に入るや、シュンランは板を投げ捨て、残る体力をその両足に注ぎ込む。
  「……?」
 しかし、捉えたはずの希望の中にシュンランは違和感を見出す。
  「白い(もや)……まさか、まだ――」
そこは、あるはずの無い霧に満たされていたのだ。
そして振り返れば、《鬼》はシュンランの狼狽か環境の変化が引き金となったのか。最早言葉も発さず、生物の様に脈打つ刺青の光は、彼の瞳の輝きすらも呑み込んでいた。
  続く

Chapter 15

第15回 《岩壁使い》、墜つ
「サユ、シュンランの奴が見えたぜ。《鬼》もだ。
ここが正念場ってやつだな」
シュンランと、《森の遊人》兄妹が定めた《鬼》と決着をつける場。その一本道となった洞窟の上に登り山側を監視していたダウが、その視界に信じていた仲間と、今日この場で忌まわしい縁を切るべき宿敵の姿を視界に収めた。
ダウは、止血こそすれど未だ彼の身体を縛る脇腹の痛みにも関わらず、(たかぶ)って妹に呼びかけた。遂にこの時が……これまでに自分が、同胞達があの男に負わされてきた傷と悪夢の連鎖を断ち切れるのであれば、今この瞬間の痛みなど矮小なものだ。「ごめんダウ兄…………甘く見てたみたい……」
しかし当のサユは、彼女に似合わず苦々しく答えた。洞窟内の壁面に突き立てられた矢を一本一本吟味し、時に引き抜き、時に追加で打ち込む。《震天の雷剣》を抱えて霧の中を駆け回るサユは、静かなる双眸(そうぼう)の下に、しかし冷や汗を浮かべていた。「どうしたサユ、お前らしくねぇぞ。
何があった、一緒に背負うのも、おれの役目だぜ」
屋根の上のダウにはサユの表情は見えない。彼女の作業の意味するところも判らない。それでもダウは、彼女の訴える不安は、自分達なら乗り越えられるものという確信を疑わない。 「《震天の雷剣》……思ったよりも“分解”に手間がかかる。
性質そのものは予想通りのみたいだけど……
《雷獣》に長らく使われてたせいで少し変質してる。
出力調整が《雷獣》の雷撃に最適化されてるっぽい」
「なるほど、理屈も判らん。
サユの予想そのものが違ってた訳じゃないんだな?」
   「それはそう……だから時間さえあれば、一応は……」
サユはそう言いながらも、矢と古代遺物を通じ、霧と放電を操る手を早める。焦り、それが正確性を奪うと分かっていても、彼女は脂汗の滲む手を緩める事が出来ない。
  「なら話は早ぇ、おれがシュンランに合流して時間を稼ぐ。 
んで、ヤツを穴ん中に押し込む、それだけよ!」
ダウは洞窟の屋根から飛び降り、既に声の届く距離まで駆け降りて来ていたシュンランに手を振りながら走り出した。
  「ダウ兄、そのケガでは……!」
   「血は止めた、あと一戦くらいなら踏ん張れらぁ!
 サユの夢のために無茶をする、それがおれの生き様よ!」 
ダウは力こぶを叩いて見せる。サユとしては彼が《シン》修行のお陰で筋肉の操作に卓越している事など今更だが、彼なりに負傷への不安を拭ったつもりなのだろう。事実、彼が未だに走れるのも、包帯や薬草よりも先に体幹筋を引き締め、出血と裂け目の拡大を抑えた賜物だった。
  「それに今回はシュンランだっている!
お前はちゃんと予想も策も当ててんだ、へこむ事ぁねぇ! 
お前らしく最後までやるんだ、慌てず急いで正確にな!」 
自身の存在に気づいたシュンランと《鬼》に向かい、手負いにも関わらず加速するダウ。何を言われようと彼は戦うだろう。「ダウ兄……全く……無茶をカバーする身にもなって欲しい」
 サユはぼやきつつも、その手を緩める事はしなかった。しっかりと自分の知恵を信じて正確に――ダウの言う通りに。
ダウはいつも無茶をする。しかし、こうして今でも共に居る。だからサユは、彼に自身を委ねられる、自らの進むべき道を見続けられるのだ。
   「ダウ、動いて大丈夫なのか!?」
  「そいつはお互い様だぜ、シュンラン!
どうやらもう一戦やる必要がありそうなんでな!」
  「……やはりか」
ダウの出迎えは、シュンランの悪い予感が当たっている事を裏付けるものであった。二人で合流してまで再び《鬼》との戦いに備える、そして洞窟内の霧。シュンランにとっては、為すべき事を理解するに十分であった。
  「山猿も……丁度いい、殺す……まとめて殺し尽くす……
オレは……全て壊す……何もかも……!」
シュンランの背後に迫る《鬼》は、最早虚ろな目には何も浮かべていない。代わりに彼の全身で脈動し、その肉体を駆り立てる刺青(いれずみ)から、その殺意と闘争心が赤黒いオーラとなって可視化され、噴出していた。
   「おいおい、奴さん随分とそれっぽい面構えになりやがって。
まさしく“鬼”って感じだ、渾名を気に入ったのか?」
  「奴は完全に正気を失いやがった!
タガが外れてるかもしれない、気をつけろ!」
「ならその分、罠にかけやすかったりしねぇか!?」
  「そうだと良いんだがな!」
《鬼》は最早声帯から発しているのか、全身の刺青が空気を振動させているのかも定かではない咆哮と共に自らの右腕に巨大な岩石剣を形成し始める。身の丈の三倍はあるそれは、明らかに彼自身の肉体にも食い込み、蝕んでいた。
シュンランとダウに向け振り下ろされる岩石剣の表面の凹凸が生む異様な風切り音。次の瞬間には左右に飛び退いた二人の近くにあった大木が、落雷を受けたかの如く爆散していた。 「何て馬鹿力だ! こんなのを隠してやがったのか!?」
  「封じていたほどの負荷なんだろうな……
とはいえ、自滅も期待できそうにはないが……!」
 《鬼》を突き動かす闘争心と殺意……彼の瞳から生気が失せようとも、それは依然として燃え盛り、肉体を駆り続ける。全てを滅ぼし尽くすまで止まらぬほどの熱量だ。限界を超えた限界がいつ訪れるか知る由などない。
  「ああ、それにおれは気が短ぇ、自滅なんざ待つ気はねぇ! 
やるぜシュンラン、今ここで!」
  「言われずとも!」
シュンランは嚆矢(こうし)とばかりに、《鬼》の右腕の付け根に向け猟銃を撃ち放つ。しかし、その弾丸は《鬼》が左手で形成した防壁に阻まれ、岩石剣を無力化する事は能わなかった。
   「岩壁の守りは変わらずか……!」
  「フン、変なとこだけは律儀な野郎じゃねぇか……!」
「かくなる上は、奴の大振りっぷり利用するぞ!」
   「合点だい!」
《鬼》は、その呼吸すらも刻印に制御されているかのようだ。それでも、再び血に染まった腕ごと岩石剣を振りかぶる。
  「伏せろッ!」
二撃目は横薙ぎであった。頭上で掻き乱された(いびつ)な気流が、二人の頭皮を不快に舐め回す。
  「脇腹ががら空きだぜ、さっきのお返しだ!」
   「待てダウ! そういう意味じゃ……」
シュンランの制止よりも先に、隙を見せた《鬼》へ突撃するダウ。痛みを怒りに変えた一撃を、《鬼》の脇腹に叩きこむ。「それ、もう一丁!」
 手応えを感じるやダウは、次なる一撃として《鬼》の(すね)に回し蹴りを放つ――が、その二撃目は不発に終わった。
宙を無秩序に舞い飛び、身体を地面に打ち付けられる事となったのは《鬼》ではなく、ダウであった。《鬼》はたとえ大振りの攻撃を放った後であろうと、左手で小規模なカウンターを繰り出す程度の余力を保っていたのだ。
  「うがッ……荒ぶってんのに反撃も変わらずかよ!」
  「銃撃も防ぐんだぞ……奴の大振りを利用しようってのは、 
誘導にだ。あれを見ろ」
《鬼》の足元には、地面を抉ったかのような不自然な足跡が形成されていた。最早制御できぬ力で自身より遥かに重い巨岩を振るう彼は、その一振りの度に身体を逆に振り回され、意図せずして引きずられていたのだ。
続いて繰り出される《鬼》の三撃目。シュンランはダウとは逆方向に飛び退く。サユの待つ、霧が薄くなりつつある洞窟に向かって。
   「時間は既に稼いだ、もう少しで終わるはずだ!」
   「なるほど、どの道止めの刺し方は変わらねぇしな!
よし、そうと決まれば話は早え!」
ダウはシュンランの意図を理解するや、早速《鬼》の前に躍り出る。そして、正面から《鬼》に突撃する構えを見せた――かに思えた。
  「事前に分かってれば!」
《鬼》の岩石剣は虚空を斬る。
 突撃の構えを見せたダウに振り下ろされた《鬼》の四撃目。その切っ先が標的のあるべき空間を捉えた時、ダウは既に飛び退いていた。
  「ヘヘ、こうも単純なフェイントにかかる程に堕ちたか!
敵ながら哀れなこった!」
   「だが喰らえば必死、気は抜くな!」
続いて放たれるシュンランの牽制(けんせい)射撃。《鬼》は反射的に矛先をシュンランに向けるも、間合いを既に確保しているシュンランがそれを(かわ)すのは容易かった。
交互に《鬼》の反撃を誘発させ、少しずつ洞窟へ誘導する二人。リスクを分散しつつ、時間稼ぎと誘導を同時にこなす作戦だ。これを幾度も繰り返し、着実に洞窟に近づいていく。
 やがて、激戦の中に在っても明瞭に響き渡る重低音が、二人に戦いの終局が近い事を告げる。
   「法螺貝! サユが仕事を終えた!」
洞窟内の(もや)は既に無い、法螺貝の音色は、サユも既に退避済みである事を告げていた。
  「来い……《岩壁使い》! 貴様の墓穴に!」
シュンランは洞窟の真正面に仁王立ちし、《鬼》の最後の一撃を誘う――が、《鬼》の右腕に同化した岩石剣はその場で崩れ落ちた。《鬼》は小さな岩楯のみを手に跳躍し、シュンランに直接掴みかかったのだ!
  「……死中に活を!」
しかしシュンランは怯まない。「想定外には想定外をぶつけろ」。サユの言っていた言葉がどういう訳か彼の脳裏に浮かび上がっていた。遠い昔の記憶が呼び覚まされるように自然と。
シュンランは飛びかかる《鬼》の慣性を利用し、呼吸を止めたまま《鬼》諸共洞窟内に転がり込む!
  「ダウ!」
   「応!」
続いて飛び込んだダウは、《鬼》に組み付かれ地に伏せたシュンランの腕を掴み、同時に《シン》を撃ち放った。
  「あばよ木偶(でく)(ぼう)野郎、これにてお別れだぜ!」
《シン》の打撃力により、シュンランから手を放し倒れ伏す《鬼》。ダウはその一撃が生む反作用を以て、抱えたシュンランと共に外界へと飛び退く。
「貴様の業、ここで絶つ!」
そしてシュンランは、ダウに抱えられ宙を舞いながら最後の銃弾を洞窟の中に撃ち放った。
不安定な状態から放たれたにも関わらず、渾身の弾丸は主の想いに導かれるかの如く、洞穴の中に立ち尽くす《鬼》の頭部を目がけて吸い込まれていく。
冷たい風を裂く銃弾、地に投げ出されるシュンラン、岩盾を構える《鬼》、散る火花――そして刹那、辺り一面を覆い尽くす太陽の如き閃光。
シュンランの放った弾丸が猛烈なる火球に姿を変え、《鬼》を空間ごと呑み込まんとしていた。
  続く

Chapter 16

第16回 価値をその手に
 一つの呪わしき因縁が、またここに絶たれた。
一発の弾丸は火球に姿を変え、閉鎖された環境下で邪悪な存在を呑み込み、焼く。そして留まる事無く膨れ上がる爆炎と衝撃波は洞窟の構造をも揺るがし、脆い岩石層を崩落させる。 「いでっ! ……って、な、何でぇこいつぁ!?」
背中を地面に叩きつけられながらも、痛覚を驚きに上塗りされるダウ。次の瞬間、彼は更なる驚愕を目の当たりにした。 
爆発の影響で緩やかな崩壊を辿ると思われた洞窟が突如、その内外の岩石を到底自然には起こり得ぬ勢いで変形させ始めたのだ。瞬く間に重量バランスを狂わせた洞窟は、その地形ごと盛大な崩落を遂げる。
  「おいおい、一体何が起きやがったってんだ?」
  「これがあの《鬼》の最後だ。
全方位から襲い来る爆轟は、岩壁でも決して防げない。
最後は、手当たり次第の岩に干渉したんだろう」
   「それが裏目に出て、岩使いの癖して岩に埋もれたってか? 
判らんでもないが……結局、あの爆発は何だったんだ?
あれが《震天の雷剣》の力だってぇのかい?」
  「……そこら辺は、一番の先生が君の身内にいるだろう?」 
二人の傍らには、いつの間にかサユが座っていた。驚愕の色を特に見せていない彼女だが、それ以外の全てはシュンランやダウと同じものを見ている。
   「水素爆発……簡単な理屈だよ。
《震天の雷剣》の真の力は、水分子を集めて分解する事。 
 それを洞窟に貯めて、後は着火するだけであの通り」
   「サユ、お前無事で良かったぜ! ケガはしてねぇか!
よくわからんが、お前が無事なら何でもいいぜ!」
  「……相変わらずこの手の話は右から左だね。
それより、ダウ兄こそ大丈夫? 《シン》を放ったら……」「あ……いってぇ! 畜生、気ぃ抜いたらこれだ!」
ダウは脇腹に視線を落とし、思い出したようにその表情を苦悶に支配された。彼の周囲の雪は既に赤く染まっている。
  「ダウ!」
   「畜生、流石に傷口が……痛ててて……不甲斐ねぇな……」 「……大丈夫、幸いまだ開きかけ……
でも動かない方が良い。応急処置するから寝てて」
「ああ、悪ぃが頼むわ……」
麻袋から包帯と薬草を取り出すサユ。自分も何か手伝わねば。シュンランは立ち上がろうとするも足の力が抜け、自身も仰向けに倒れている事に気づくのは、数拍を経ての事であった。 「シュンラン!」
  「大丈夫だ……連戦の疲れと痛みが溢れただけさ……
ダウほど深手じゃない……」
サユはシュンランの身体の動きや出血を見て言葉に偽りが無いと判断したのか、シュンランを案ずる視線を保ちながらも、ダウの介抱の手を早める。
  「だが……少し休ませてくれ。気付けの薬も無いなら……
幸いここなら寝ても……死にはし……はず――」
 シュンランは薄れゆく視界の中で太陽を背に覗き込むサユの後に、二人の懐かしい人の気配があるように感じた。背中の雪とは裏腹に、それは不思議と暖かい入眠であった。
   「結局、あいつは何だったんだろうな」
  「わからない……でも、最後は何か哀しげだったかも。
何かに引きずられて、後戻りできないみたいで……」
   「……君もそう思うか。まあ、俺達には関係ないけどな。
俺達は理不尽な暴力から身を守った、それだけだ」
数時間後、目を覚ましたシュンランとサユは木陰に腰掛け、次第に晴れ行く空を見ていた。今だけは、同じ空を見る方が向かい合うよりも通じ合えそうな気がしていた。
 ダウは近場で見つけた(わら)の上に寝ており、サユ曰く容体は安定しているらしい。
二人が少し斜面を見下ろせば、そこは洞窟の崩落跡。《鬼》の復活の気配もなく、ただ静けさを取り戻した白笠嶽があった。「サユ……君がどうして迷わずに進めるのか。
ようやく、それが分かった気がしたよ」
   「そう……それはキミのためになれた?」
   「ああ、なったとも」
シュンランは、短い夢の中で父と再会していた。言葉は多く交わさない、入り混じった感情の発露も無い。よくやった、次はお前自身が探すんだ、とだけ父は言い、シュンランの頭を撫でる。ただそれだけの夢だった。
 それでもシュンランが、かつて父の言った言葉に自分が縛られていた理由を、そして今の自分に何があるのかを振り返るには十分であった。
  「俺は自分のする事に“価値”がずっと欲しかったんだ。
《マタギ》として命と向き合う、それに見合うだけの……」
そしてそれを喪失した空虚な期間は、自分から価値に向かう意志を、そこに何の意味があるのかを知る勇気を奪ってきた。「だが……君達と手を取り合って、君達の使命を……
道を守る事にこの身を活かせた今ならわかる。
俺が求めたのは、後で胸を張って意味があると言える価値だ。
今なら言える、俺には《マタギ》である意味があったと」 
そして、まさにそれを以て自分の道を見据える少女。自分が歩み続けた道は、その少女のために身を結んだのだ。
  「……ふふ。なら、わたしとは“逆引き”かも」
サユはそんなシュンランに、知る限り最も躍動の多い、そして澄んだ笑顔を返す。空から視線を降ろしたシュンランは、こんな笑顔はこうも静かに作れるものなのか、と何気なく思いつつサユを見ていて気付いた。彼女の瞳に反射したシュンラン自身も、サユの笑顔以上に自分らしからぬやたらと晴れやかで澄み渡った表情をしていた事に。
しかしシュンランは気恥ずかしくなり、すぐさま顔を伏せた。「逆引きって……?」
  「わたしは……どちらかと言えば、意味が先にある。
営みの一つ一つが無意味じゃないって確信できるから…… 
 その先に自分だけの価値を作れるはずだと信じてるだけ」 「なるほど、確かに逆引きだ」
サユは、その営みが確かな意味を持つと確信するからこそ、未来に新たな価値を求める。
それは、過去に遡って自らの道に確固たる土台を探し求めてきたシュンランとは、似ているようで対極であった。
  「結果論に過ぎない俺は、まだまだか……」
  「……そんな事はないよ」
サユは、《震天の雷剣》をシュンランに指し示す。
  「この勝利も、わたし達だけじゃ成し得なかった……
わたしからすれば、むしろ判り切った意味の先の価値より、
今そこにある意味を追い求めたシュンランのお陰」
 両者は、互いが営みの中で育んできた技術を以てして、互いの弱点を補い合い、壁を乗り越えた。それは決して容易な事ではなかった。
  「わたし達は、目指すものも、生きる意味も互いに
補い合える関係だった。だから、共に戦えた。
そしてわたしは一つの価値を得て、キミは意味を得た」
そして、向き合いながら共に歩む中で糸を手繰り寄せてきた。「だから……キミは一つの答えに至れたんじゃないかな?」 「一つの答え、か……」
この答えは数ある答えの一つに過ぎない。それでも、シュンランが自ら生きる道の価値を求め続ける指針として十分足り得るのだろうか。
「俺も……この先歩み続けられるかな……君のように」
   「できるよ。わたしに今の道を教えてくれた《マタギ》と
あの時のわたし自身……シュンランは、両方に似てるし」 
かつてサユを導いたという、旅の《マタギ》。彼が如何なる人物なのか、何故旅をしていたのかは分からない。しかし、彼がサユに何を与え、それがサユの中で何に変わったのか。似ていると言われたシュンランは、今なら何となくわかる気がする。「その人は旅で何を見つけて、どこに向かったんだろうな……」
改めて感じれば、シュンランは一つの旅を終えた時のそれにも思える感覚の中に在った。たったの二日間で得た仲間と、越えた壁、断ち切った戒。シュンランの辿った軌跡は、これまでの何よりも濃密で、そして新しかった。
 これが意味を見つける事、価値を得る事であるならば―― 「これも賭けになるかもしれないが……もっと大きな道を
歩むのも良いかもしれないな。まさに君達のように……」 
故にシュンランは、一つの道を定めた。
決まった旅路の無き道、決まっていないが故の意味のために。
  続く

Final Chapter

最終回 《マタギ》
 《雷獣》が白笠嶽から消えて一ヶ月。三月ともなれば春の訪れの季節だが、白笠嶽においては未だに雪が降り積もっており、外界の者からすれば春など存在しないと思えるかもしれない。
しかし白笠嶽に住まう住人たちは、春が例年よりも遥かに早く、穏やかである事を肌で感じていた。山歩きが出来なくなるほどの吹雪は減り、ささやかながら新芽を目にする事もあった。そして“マタギ郷”の住人の大半は、むしろこの穏やかさこそが本来あるべき春の姿である事を記憶している。
シュンランが荷袋に棒を通し、家を後にしたのはそんな季節であった。自宅から郷に向かう道、小さな発見でも無意味ではないとさり気無く教わっていた道。今年は気づくものが一層に多い。そして今より歩む、白笠嶽の如何なる狩場よりも長大な道であれば更に……。
  「予定通りの出発か。相変わらず几帳面じゃな」
朝日が昇る前に郷を通過するシュンランは、待ち構えていたかのように《頭領(スカリ)》に背後から声をかけられた。まだ郷の皆が寝床に在る時間に発つ故と、前の晩に挨拶は済ませていたはずだったが。
   「《頭領》、わざわざお見送りを?
ご迷惑と思って昨夜ご挨拶に伺ったのに」
  「ふん、年寄り扱いし過ぎるでないぞ。
儂が何年狩りで野営してきたと思うとるか。
この大事な時に、早起き如き惜しむはず無かろう」
  「ありがとうございます。ご期待とは違う形ですが……
 自分なりの修行をしたく思いまして」
シュンランは珍しく、そして久しぶりに《頭領》に対し、本心から謝意を示した。辺りが暗く、伏せた顔に浮かべた表情を見られないのは不幸中の幸いか。
自分は、郷の老人たちから腫物扱いされている気でいた。郷に残った唯一の若者にして、先代《頭領》の父を失った伝説的英雄ギウンの孫弟子。それでいて、当人は自らの在り方すらあやふやなまま狩りを続けていると来た。扱いに困るのも当然だ。
しかし、シュンランが旅に出る意志を打ち明けるや《頭領》を筆頭にした彼らはまず第一にシュンランを引き留め、動機を話すや無理にでも納得しようと努め、そして最後には次期《頭領》により相応しくなれるだろう、と送り出すに至ってくれた。まさに集落規模での“親の心子知らず”だ。
  「そこは今更欲張らんよ。お前さんが《マタギ》である事に 
前向きになれたなら結構じゃ。そうでないと、
儂も親父さんやギウン様に顔向けできんしな。
お前さんなりの答えを踏まえて考えてくれれば良い」
   「《頭領》……ええ、そうですね。
自分なりに、この郷のためにもなる答えを何とか……」
《マタギ郷》は、何か新しい風に賭けるべき。それが、《頭領》が身の丈に合わぬと思うその立場に在りながら、彼の下した結論であった。そして、シュンランが見つけた価値がそれに合致した時、新たな時代が訪れるのだ。
  「この前の事件で、悲願を果たし、脅威を払うと共に……
 俺は《マタギ》である故に人を救い、その営みを守れました。
こういう価値が広い世界に点在するならば……」
   「……お前さんは、変わっとらんな。良い意味で」
   「そうですかね?」
一皮剥けた、とでも言われると思ったシュンランは、しばしきょとんとする。自分としては、今までにない視野の広がりを得たつもりであった。
  「ほら、お前さん、昔から節介焼きというか、
つい流れで人助けしてしまう癖があったじゃろ?
何というか、大本は変わっとらんのではないかと思うてな」
悪い癖。思えば、あの少女との出会いも、そうして始まった。もし自分が無意識に誰かを助けたいという衝動を持つとが、自らの在り様に見合う価値を求める葛藤との間にある種の共鳴があったとしたならば……。あの二人と共に戦い、そして得たものの萌芽は、既にシュンランの中に在ったのだろうか。
   「そういえば……」
暗い中に在ってなお顔を伏せるシュンランを見てか、《頭領》は声の調子を変える。
  「お前さん、《雷獣》の剥製化は済んだのだが、
本当に要らんのかね? こいつはお前さんの――
いや、親子二代の悲願じゃ。お前さんの元に残す権利がある」「ああ、あれですか……」
シュンランに討たれた《雷獣》はあの後、《鬼》の脅威も同様に去った事が確認され次第《マタギ》達により回収され、剥製に加工されていた。まさにそれはこの地の者達にとっては、脅威が去った事と共に、人間が山を(けが)れより守った事の象徴でもあった。そして同時に、《マタギ》達はそれが誰の誇りとなるべきか、それを尊重する事に迷いは無い。
  「このまま郷の集会所に置いておいて本当に良いのかね?」 「ええ、問題無いです。家には置く場所無いですしね。
それに元より、過去を断つつもりで狩った獲物ですから」 「そうか……そうだったな。相分かった。
儂らが大切に保管させてもらおう。
あれはお前が郷を守った証じゃ。次代に伝えていかねばな」「ありがとうございます、それでは……」
今のシュンランには、後顧の憂いは無い。あるとすれば、広い世界の中でどこまでの意味を、価値を我が物とできるか。そして、相応しい価値を携えて「彼ら」に再び見えられるかの漠然たる不安のみだ。
それでもシュンランは発つ。そこに壁があろうと、乗り越える術はある。何せ自分は《マタギ》、山を越え、命と向き合い、そして価値を狩り取る者なのだから。
   「おう、達者でなシュンラン。待っておるぞ」
《頭領》はシュンランの背中が見えなくなるまで彼を見送る。そして、若者の姿が郷から消えた時――彼の視線は、傍らの碑に向けられていた。先々代《頭領》ギウン・オルギスの名が刻まれた碑に、現《頭領》は懐から取り出した酒をぶっかけ、傍らに腰掛ける。
「ギウンさんや。もう顔も忘れたかもしれねぇのに……
あんたの孫弟子、似たような事言って旅立ちましたぜ」
《頭領》の見せる笑顔は、シュンランを鼓舞する時のそれとはまるで違った。若返ったような、という表現も違う。ただ、ある時に戻り、その爽やかさだけを抽出したような。
  「あなたも言ってましたな、大陸そのものを一つの山と見立て、
その上で山に生きる意味を、真に狩るべきは何かを探すと。
儂には大それた事は理解できやせんし……
それより今の郷を守るのが何やかんや嫌いでねぇが……」 
昇る朝日の光を浴びた碑が、きらりと輝く。
   「《雷獣》狩りに、“鬼殺し”……
今のシュンランなら、至れてもおかしくねぇですぞ……」 
シュンランがサユとダウの旅立ちを見送ったのは、《鬼》に打ち勝った二日後の事であった。
二人は名残惜しくとも傷が癒え次第、支族の仲間達と合流して《鬼》の恐怖が去った事を告げ、そして《ホコラ》を改めて目指さねばならなかった。
シュンランは、自宅で残された二日間を彼らと共に過ごす中で改めて多くを知った。後から思えば、おかしな話だ。あの特異な戦いを共に生き抜き、互いの戦いの特性を知り、信頼を築いた仲間達。しかし改めて落ち着いて卓を囲んでみれば、仲間として、友人として初めて知る事はいくらでもあった。《森の遊人》について、そして二人自身について……それは逆の立場でも同様だっただろう。
そして、シュンランの旅立ちの決意は、まさにそれらに後押されていた。
サユが意味から未来の価値を探す道を選んだ大きな理由の一つ。それは、かの《マタギ》が本と共にもたらした、一つの客観、それだけで全てを変え得るという事実であったという。自分の属するものが、この世界の中でどう“在る”のか。それがサユの探究心に火をつけ、彼女は一族の中に在って、自分だけの在り方を見つけ、そして一族に更なる在り方を付与したいと望むようになったという。
もしもその旅人と同じ《マタギ》たる自分にも、サユをも変えた何かを見据える事が出来るなら……。
シュンランがサユと再び相まみえる時、自らの手に、彼女を更なる高みへ至らせるための意味を、価値を携える事は出来るのだろうか。
それでもシュンランはその時、二人を送り出した時に誓ったのだ。必ずいつの日か追い付くと。旅路だけでなく、価値を見つけて、そして創造していくという意味でも。
故にシュンランは、旅を決意した。更なる価値を求めて。たったの数日間、《森の遊人》と共に見慣れた地で戦っただけでも、シュンランは多くを得た。であるならば、サユの語る旅人のように、“この世界を巨大な山に見立て”て我武者羅(がむしゃら)に、そして貪欲にひた走ってみるのも一興ではないか。
目にも見えぬ獲物を求め、広大なる山を駆け抜ける。まさに

それでこその《マタギ》ではないか。
ならば誓うしかあるまい。この大陸という広大な山を駆け、そして再びサユに相まみえた時、彼女に新たな価値を示す、第二の《マタギ》にならん事を。
魔獣の咆哮を耳にして眠ったままでいられる《マタギ》などいない。
旅する《マタギ》シュンラン・アイゼンは未舗装路を行く導力軽トラックの揺れとエンジン音にも関わらず夢の中で旅立ちに至る想いの変遷に浸っていた。
しかし、一度奮い立てば、すぐさま相棒たる猟銃(スルベ)を手に、軽トラックの荷台から立ち上がる。シュンランが身を預けていた キャラバン隊を構成する軽トラック群はどれも急停車しており、彼以外の便乗者たちもその慣性に揺り起こされていた。一部には玉突き衝突まであった。
あれか――シュンランの視線が捉えるはただ一つ。キャラバン隊の先頭車と、それを取り囲む見慣れぬ変種の(ひぐま)魔獣の群れだ。
猟銃を手に、荷台から迷い無く駆け降りるシュンラン。車列の遥か後方に見える、小さな小さな白笠嶽。されどシュンランが今この瞬間見据えるは、離れ行く故郷に非ず。駆ける先に群れる、まだ見ぬ獣達と、彼らに狙われた商人達。
何の変哲も無い人助け。お節介な悪い癖。しかし今のシュンランは、かくも陳腐な言葉で表せるこの行動にも、意味を、価

値を求める。
この世界に、大陸に在って《マタギ》たるままに流れ、戦い、そして狩る自分がその手に掴める価値、見出せる意味。
あらゆる可能性に、シュンランは向かうのだ。
この山に生きる勇者たる大切な友人達と再び会うその日までも、その後も。
   完

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